本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
新しい作品「六十年後の未来に来てみたけれど」を公開しています。
今日から第三十九話めを公開しています。
連載形式ですが、途中からでも、一話ずつでも読めますよ。
話の展開がわかりやすくなるように、主な登場人物の解説つきです。
下のバナー「とまと文学部」の文字をクリックすると、小説のページに飛べますよ。
よろしくお願いします。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
~ここから本編~
世の中は下を見て暮らせ。
幼い頃からこう言われて育ちました。
世の中は下を見て暮らせ。
これは母の口癖でした。
つまり、世の中には自分よりも不幸な境遇の人もいるのだから、上を見て無い物ねだりをするのでなく多くを望まず暮らせということですね。
果たしてそれは正しいのでしょうか?
私は、それは違うと思います。
それは間違いです。
人間は更なる高みを目指し向上心を発揮して生きていかなければなりません。
無い物ねだりであっても、いつかは目標に到達し夢見ていたことを掴み取るくらいの気概がなければなりません。
母が言っていたこと、なんだか卑屈ですよね。
私はこういう考え方は嫌いです。
母が、世の中は下を見て暮らせと言っていたことには理由があります。
私が生まれ育った家庭は貧しい環境でした。
今ほど職業選択の自由度は低かったのでしょうか。
父や母が就ける仕事は限られていて、収入も十分ではなかったようです。
父も母も死に物狂いで働いていましたが、それでも家庭は貧しかったのです。
今になって思うのですが、苦しいのであればいっそのこと公的な補助を頂くとか、そういう選択肢でも良かったんですよね。
私が大学生の頃、生活保護や社会福祉についての本を読んだことがありました。
読書好きな父も読みたがったので貸してあげたところ、読み終わっての父の感想はこうでした。
公的な補助に頼ることはみっともないことである。
生活保護など言語道断である。
おそらく父は貧しくても懸命に働き、世間様に迷惑をかけていないことを誇りに思っていたのでしょう。
それは立派な考えですが、公的な補助に頼ることはみっともないことではないです。
当時から私はそう考えていました。
つまらないプライドとでも言いましょうか。
公的な補助に頼るのはみっともない。
そう言っておきながら、世の中は下を見て暮らせというのは合点がいきませんね。
世の中は下を見て暮らせ。
自分よりも恵まれない人がいるのだから、それに比べればマシ。
そう考えて暮らせ。
卑屈ですね。
そうではありません。
世の中は上を見て暮らすのです。
いつかは、あそこまで行ってみたい。
行けるように努力をしよう。
人生はこうでなければならないと思うんですよね。
そうでなければ、楽しくないではありませんか。
私の両親世代は80代、父はもう亡くなりましたが母は90歳近いです。
戦争を経験しているせいか、贅沢を嫌い勤勉で我慢強いです。
人生をどう楽しく生きるかという価値観はあまりないようです。
しかし、それで人生を謳歌していると言えるのでしょうか。
人間は最低限の衣食住が保障されれば、それで良いというものではありません。
自分らしさを追求したり、更なる高みを目指す楽しさがあるからこそ、人間は生きるんですよね。
私は世の中は上を見て暮らします。