本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
新しい作品「六十年後の未来に来てみたけれど」を公開しています。
今日から第四十六話めを公開しています。
連載形式ですが、途中からでも、一話ずつでも読めますよ。
話の展開がわかりやすくなるように、主な登場人物の解説つきです。
下のバナー「とまと文学部」の文字をクリックすると、小説のページに飛べますよ。
よろしくお願いします。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
~ここから本編~
子供を持ってはならない人間っていますよね。
最近はSNS、Twitterなどで子供を持つことに対する否定的な意見を発信する若い方が増えました。
悪いことではないですね。
そもそも、子供を持つことは諸手を挙げて称賛されるようなことでしょうか?
私は必ずしもそうとは言えないと考えています。
私は今は離婚して一人で自分の子供はいません。
子供、欲しくなかったんですよね。
こういう価値観はひと昔前ならナンセンスなものと取られがちでしたが、最近は正直に自分の気持ちを表し、子供を持つことのナンセンスさを語る若い人が増えてきた印象を持っています。
子供を持たない。
それはそれで結構なことではないですか。
私が自分の子供を欲しくなかった理由は大きく分けて二つですね。
一つは私は生まれ育った家庭が貧しく苦労の連続で、家庭を持つことに魅力を感じられなかったのです。
もう一つもやはり家庭環境の影響ですね。
父がおそらく発達障害だったと思うのです。
今生きていれば80代半ばになるような人ですから、正確に診断されず、ケアも受けられず病死しました。
それでも、私は娘としてずっと傍にいたのでわかりますね。
あの人は発達障害です。
相手の気持ちが読めない、自分の意見に執着する、周囲とのコミュニケーションが苦手。
父はその全てに当てはまる人でした。
私には発達障害の一種、自閉症スペクトラム障害という障害があります。
これは父からの遺伝ですね。
子供にこういう遺伝子を継がせる父のような人間は、子供を持つべきではなかったのです。
しかし、皮肉なことに父の若かりし頃の夢は結婚して家庭を持つことでした。
家族礼賛、子供礼賛。
これが父の価値観でしたね。
その価値観の延長線上に、自分の子供が苦労するという結果が生まれるとは考えなかったようです。
愚かですね。
昔の人間ってこうですよね。
無知、無理解、思い込み。
はっきり言って迷惑です。
最も子供を持ってはならない人間が、子供を持つことを切望する。
もはや笑い話ではありませんか。
私は幼い頃から無意識にこういった馬鹿馬鹿しさに気付いていたのでしょう。
大人になって自分の意思を意識するようになると、家庭は持たない、子供は持たないと決めましたが、こういうことに共感し理解してくれたのが元夫です。
私のこういう部分に共感と理解があったので、元夫とは結婚できましたね。
もちろん、子供を持たないことにも賛成してくれました。
父もひどいですが、母は更に困った人間です。
私が5歳くらいの頃のことですが、叱られて全裸にされ、夜に家の外に放り出されたことがありました。
それ、現代なら虐待で通報案件ですよね。
ショックで蕁麻疹だらけになった私を病院に連れていってくれたのは父でした。
母は自分の感情をコントロールできないだけではなく、やはり父のように相手の気持ちを考えられない、考えない人間なんですよね。
母も発達障害なんじゃないかと思いますよ。
この二人の間に生まれた私は、立派な自閉症スペクトラム障害。
はっきり言って迷惑千万です。
父も母も結婚してはならない、子供を持ってはならない人間だったのだと思います。
二人とももう80代ですが、この世代の人間は人生とはこうあるべきという価値観に疑問を持ちません。
自分らしさや既存の概念に対する懐疑心が足りませんね。
ですから、最近の若い人を中心に既存の価値観、家族礼賛、子供礼賛に対する懐疑的な考え方が表されるようになったのは良いことですね。
もっと本音で、もっと自分らしく。
それが一番の幸せだと思うんですよね。