本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いていますが作業中に間違って表示を消してしまいました。
復旧次第、載せますのでそれまでお待ち下さい。
~ここから本編~
昨日は初詣の話をしました。
そこで、今日は年賀状の話をします。
今日から年賀状の受付が開始なんですね。
最近はハガキで出す人が減り、メールやLINEで送る人も増えました。
私は離婚して一人に戻ってからは年賀状、出してないですね。
送ってくる人もほぼいません。
親戚のおじさん、おばさんと言っても、皆ほとんど亡くなってしまいましたし。
年賀状はお世話になっている業者さんから来るくらいですね。
それでも、結婚していた頃は毎年出していました。
私と元夫は、夫婦別姓で事実婚だったので、結婚して間もない頃は”周知を徹底させる”ために、二人の連名で親類に年賀状を出していました。
結婚の報告の時点で二人の連名で送っていたので、大体は送ってくれる方も二人の連名で送ってくれましたが、中には夫の姓に私の名前を書いてくる親類もいました。
とは言え、何年も同じように二人の連名で年賀状を出していたので、私の名前に元夫の姓を付けて送ってきていた親類も、二人の連名で送ってくれるようになりました。
何事も自分はこうなのだと、主張を正しく伝える手間を惜しまないことが大切です。
このように結婚していた頃は年賀状を出していましたが、離婚して一人に戻ってからは、もう何年も出していません。
必要性も感じませんし。
年賀状といえば、学生の頃のアルバイトですね。
私が初めて取り組んだアルバイトが、年賀状の仕分けのアルバイトでした。
高校一年生の時に初めて働いてみたのですが、働くって大変だなあと実感しました。
高校生くらいになるとアルバイトをする生徒も増えてきます。
しかし私は両親が厳しく、通っていた高校も進学に力を入れる学校だったので、周囲に日常的にアルバイトをしている生徒はいませんでしたが、厳しい両親も年賀状のアルバイト、公的なものに近い仕事なら良いと認めてくれたのです。
学生のうちにアルバイトをして社会勉強をするのは大事ですよね。
年賀状の臨時アルバイトは、大学生になっても続けました。
年賀状といえば、毎年、実家に帰ると母のところにくる年賀状の返信を書く手伝いをしていました。
来年からはもうやりません。
母とは絶縁しましたから。
何度かお話ししていますが、母は私の障害に理解がなく、理解してこなかったことを反省もしていません。
人間として相手に共感する心に欠けているんですよね。
私だけが良い子になり、母の機嫌を損ねずにいれば丸く収まるのでしょうが、釈然としませんね。
納得できません。
ですから来年は実家にも行きませんし、クリスマスも年末も母のことは放置です。
年賀状は年末年始の風物詩として、遠くから眺める存在になってしまいました。
年賀はがきの売り上げ自体が減少傾向ですから、私のような人は少なくないのでしょうね。
高齢化が進んで親類にも亡くなる方が増えたり、離婚して一人に戻ったり、或いは世間体など気にせず、母と私の関係のようにできないものはできないと自分に正直になったり。
メールやLINEでも十分ですよね。
今年から来年にかけても、変わらずマイペースでいようと思います。