本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いていますが作業中に間違って表示を消してしまいました。
復旧次第、載せますのでそれまでお待ち下さい。
~ここから本編~
今日は今年になって初めてお風呂に入りました。
初湯です。
私は定期的に精神科の病院に通い、治療とサポートを受けています。
明日、今年になって初めての通院日ですね。
私には障害があります。
自閉症スペクトラム障害という障害で、定期的に通院して医師のサポートを受けています。
それから、過去には摂食障害になって体重が30kgくらいになったことがありましたね。
摂食障害は今は寛解していますが、双極性障害を治療しています。
双極性障害って、いろいろなことが億劫になるんですよね。
お風呂に入ることもそうです。
私は最大で三週間お風呂に入らなかったことがあります。
その時はかなり具合が悪くて、三週間寝たきりでしたね。
最近はそこまで酷くないのですが、自主的に自宅でお風呂に入るのは難しいです。
何かきっかけが欲しいんですよね。
そこで、外に出かけて行ってお風呂に入ろうと思いました。
出かけていくことは一種のイベントです。
起き上がって、布団から出て、服を着て、持ち物を準備して、交通機関は何を使うか調べて、実際に家を出て、そしてようやくお風呂屋さんにたどり着く。
この過程が私にとってのリハビリになっています。
ですから、お風呂屋さんに出かけて行く時が入浴タイムですね。
今日は予てから行きたかったお風呂屋さんに行ってきました。
お正月三が日は混むので避けていたのです。
今日はかなり空いていましたね。
人が少なすぎるのか、お風呂場が寒いくらいでした。
それでも、めでたい初湯です。
お風呂を堪能してきました。
私はのんびり露天風呂に浸かるのが好きです。
いろいろ考え事をするんですよね。
上述したように、私は常に精神的なサポートが必要な身です。
病状としては寛解し、極端な拒食や過食の症状は収まっていますが、精神的な解決はしていません。
もう40年以上経ちますね。
発症した当時の私は中学生でした。
今でも気持ちは燻ぶっています。
なぜ問題が解決しないのか?
それは、父も母も心を大切にするという価値観に欠けていたからです。
私の摂食障害は拒食だったのですが、食事を拒否する心理というのは、もう死んでも構わないという絶望的な心理だと思うんですよね。
娘をもう死にたいと思うような気持ちにさせる両親のあり方に問題があります。
父と母に必要だったことは、そのようなあり方を反省し、私に一言「申し訳ない、死にたくなるような思いをさせて申し訳ない、大変だったね」と私を思いやり、気遣うことだったのです。
父は20年以上前に何も言わずに病死しましたし、母は今でも全く理解がありません。
こんな母とは絶縁ですね。
肉体的には寛解していても、精神的には燻ぶっていることで他の症状が出たり、お風呂も億劫になるような気分の低迷があるのです。
それを解きほぐしてくれるのがお風呂屋さんですね。
今年もいろいろなお風呂屋さんに出かけていこうと思います。
お風呂に入れば、気持ちもきれいになりますね。