本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いていますが作業中に間違って表示を消してしまいました。
復旧次第、載せますのでそれまでお待ち下さい。
~ここから本編~
私が生まれ育った家庭には一枚だけですが、家族写真があります。
私が中学一年生を終える頃、春休みに撮影されたものです。
今は実家にあると思いますが、もう見たくないですね。
なぜ、家族写真なのでしょう?
確か、父が言い出して、撮ろう撮ろうと父は大騒ぎしていた記憶があります。
今でも、なんだか気持ちが悪いんですよね。
私が生まれ育った家庭は大いに問題があります。
何度か書いていますが、私は中学に入ったばかりの頃に摂食障害を発症しました。
摂食障害で拒食になり、体重は30kgくらいまで瘦せ細りましたね。
なのに、両親は私を病院に連れて行くでもなく、精神的なケアをするでもなく、ほぼ放置されていました。
後から母に聞いてみました。
私が中学に入ったばかりの、まだ幼さが残る時期に摂食障害に罹って心配ではなかったのかと。
母はこう答えました。
学校の成績が下がらなかったから、大丈夫だと思っていたと。
これは酷いですね。
拒食になり、体重が30kgですよ。
逆に、この状況で成績を維持している方が危険ではないですか?
拒食、食べることを拒絶することは、死んでも構わない、死にたいという心理の表れではないでしょうか。
娘をそういう気持ちにさせる親が、家族写真を撮る。
本末転倒ですね。
私が生まれ育った家庭は、こういう家庭です。
家族写真などという綺麗事とは、まったく正反対の方向にありました。
家族写真を撮ろうと言い出したのは父です。
父は善人ですが、かなりおかしい人でした。
上記の家族写真のいきさつをお読み頂ければ、真っ当な人は首を傾げることでしょう。
父、おそらく発達障害だったのだと思います。
物事を大切にする順序がおかしい、相手の気持ちがわからない、職場で孤立する。
発達障害ですね。
父は昔の人間ですから、正確に診断されることもなく、発達障害という言葉も知らず、何のケアもサポートも受けられず病死しましたが、発達障害ですね。
医学的に診断されず、風変わりで片付けられ能力を発揮できなかった父。
こういう人を支えるのは、配偶者の役割ですよね。
しかし、母は全く父をサポートしていなかったのです。
私の家庭の問題点は、父が発達障害であったことよりも、母が気遣いのない無神経な人間だったことにあります。
父をサポートせず、私の心の問題にも寄り添わず、あの人は何の為に生きているのか、甚だ疑問ですね。
こんな家族が家族写真ですよ。
ちゃんちゃら可笑しいですね。
大切なことは形だけの表面上のことではなく、実のある心の問題なのです。
既に病死した父は、向こうの世界で気付いたことでしょう。
未だ、のうのうと生きている母にも、早く向こうの世界でこのことに気付いてもらいたいですね。
私は母の介護はしません。
あんな心無い人の尻拭いは御免です。
そんなに大切な写真なら、喜んで棺桶に入れてあげますよ。
さよならこそが人生とは正にこのことです。