本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いていますが作業中に間違って表示を消してしまいました。
復旧次第、載せますのでそれまでお待ち下さい。
~ここから本編~
今日は成人式の日ですね。
それで三連休なんですね。
成人式って何でしょう?
なぜ行われるのでしょう?
と言うのも、私は成人式に参加しなかったので、何がめでたいのかよくわかりません。
成人式に参加しなかった理由はいくつかあります。
若い頃の私は突っ張っていて、つまらない大人になんぞなるものかと気合いを入れていました。
その頃の私の目標は30歳を過ぎてからも自分らしさを失わない大人でした。
20歳が人生のピークではなく、30歳以上にこそ人生のピークを持っていきたいと考えていたんですよね。
ですから、20歳だからといってめかしこみ、そこが自分のピークであるかのように騒ぎたくなかったのです。
そして、もう一つの理由はこういうことです。
振り袖姿など記念写真なんかは撮りたくなかったですね。
私は人間としてではなく、女の子として育てられました。
私の中の女性という部分だけが殊更に強調され、結婚さえすれば良いと過剰に期待されました。
なんだか、自分という人間が一個の人間ではなく、女性という性別で区切られた役割を全うすることを求められていて、違和感があったのです。
つまり、美しい振り袖姿は女性としての象徴ですが、そういう枠に閉じ込められたくなかったんですよね。
成人式には行かず、振り袖も着ませんでした。
この二つが成人式に参加しなかった理由ですね。
まとめると、自分という人間が既存の枠に閉じ込められ、成人式に出れば私を枠に閉じ込めようとする両親を満足させることになる、それは避けたい気持ちがあった。
こういうことですね。
私は幼い頃からつまらない枠に閉じ込められて成長したので、そういうものに対する反発が今でも強いです。
既存の枠に閉じ込められることなく、自分らしい感性を大切にする。
私は幼い頃からずっとこうでした。
成人式なんぞは安っぽい馬鹿騒ぎ。
このくらいにしか考えていませんでした。
何よりも、枠を押し付けてくる両親への反発があり、成人式には参加しなかったのです。
今でもこの考えに変わりはありません。
もう50代になりましたが、固定観念を疑い、つまらない枠組みには囚われない。
成人式を迎える頃の、20歳くらいの頃の私はそういう大人になりたかったのです。
今、50代になってみて、上記のような考え方は確立されましたね。
20歳の頃に思い描いた理想の自分になれています。
式典には参加せず、振り袖も着ることなく、当然、記念写真も撮っていません。
こういう自分が好きでしたし、これからもそうです。
20歳が人生のピークではありません。
めかしこんで騒ぐ意味がわかりません。
人生のピークはいつでも、今、この時です。
今、この時、この日の自分が人生で一番若く、常に進化していくのです。
いくつになっても、そういう気持ちを保ち続けていきたい。
20歳の頃から私はそう考えていました。
今、思い描いていた通りの自分になれているので、成人式に行かなかったことは正解ですね。