しぶとい私は死なないかも知れない

本編の前にご案内です。

この「とまとの呟き」の姉妹版で小説を書いています。

タイトルは『アンドロイドの楽園』といいます。

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よろしくお願いします。

tomatoma-tomato77.hatenablog.jp

 

私はしぶといんですよね。

今、私が活動しているTwitterでは、私が敬愛するTHE ALFEEの春のツアーのチケット争奪戦の結果についての投稿で賑わっています。

 

まずは抽選に申し込むのですが、希望していた会場のチケットが取れなかった人は結構いますね。

さすがALFEEです。大人気ですね。

ALFEEについては、大人気というよりは人生を賭けているファンばかりなので、チケットに申し込みが殺到するのは当たり前のことです。

 

チケットの抽選に漏れ、手に入れることができなかった人も多い中で、私は一度目の抽選を勝ち抜くことができました。

あっさり取れてしまったという感じですね。

運がいいです。

 

チケットのこと以外にも、私はなかなか強運です。

いちばん気になるのは健康面ですが、癌が再発しそうで再発せずピンピンしていますし、今までも精神科の閉鎖病棟に入院したり難病に罹ったりもしましたが回復しています。

精神疾患は未だに治療していますが、入院はしなくても大丈夫ですね。

大学病院の閉鎖病棟に入院していましたから、今、振り返ってみると相当な重症だったのだとわかります。

 

自身でも感じることですが、私は生命力が強いんでしょうね。

私には生まれてこれなかった兄や姉がいます。

生まれる前に消えてしまう命って残念ながらありますよね。

私には兄や姉がいたかも知れないのです。

 

生まれることができなかった兄や姉が、私に命をくれたのだと考えています。

そのぶん、生命力が強いのでしょう。

それ以外にも、何だかんだいって私は強運です。

 

私って死なないのかなとも思うことがありますが、それはないですね。

大学で学んだインド哲学における仏教の教えに「生老病死」というものがあります。

 

生まれる苦、老いる苦、病む苦、死ぬ苦からは誰も逃れられないとする教えのことです。

私も既に生まれ、年齢を重ね、病んできましたから、最後に残るのは死ぬことに決まっています。

最後に死んだらどこに行くのか、いつ、どうやって死ぬのか。

非常に興味があります。

 

死ぬということは、おそらく前世や来世というものがあるはずです。

前世の私はどんな存在だったのでしょうか?

 

上述のように私は強運ですから、きっと功徳を積んだのではないでしょうか。

現世で私は功徳を積んでいるかと考えると、決してそのようなことはありません。

ただ、若い頃は突っ張っていてがむしゃらに勉強したり、道を切り開こうともがいていましたから、それが私なりの積み重ねた何かなのかも知れません。

 

今からでも遅くないので、何か功徳を積めるようなことに取り組みましょうか。

おそらく前世で功徳を積んだおかげで、現世はのんきに暮らしていけているのかも知れませんし。

 

こういう考え方も、大学で学んだインド哲学の影響ですね。

インド哲学は為になるのです。

少しずつ功徳を積んで生きていけたらいいですね。