本編の前にご案内です。
このブログの姉妹版で小説を書いています。
タイトルは「ブラックマーラの嘘」といいます。
今日は第九話めまでを公開しています。
下のバナーをクリックすると小説のページに飛べますよ。
そして「にほんブログ村」にも登録して頑張っています。
よろしくお願いします。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
今日は定期的に通っている精神科の病院の通院日でした。
今の病院は今年で3年目ですね。
その前は大学病院の精神科に通っていました。
本格的に治療を受けるようになって20数年。
何軒か病院に通いましたね。
最初は気分が沈んだり、何をするにも億劫だったりで元夫の会社の近くのクリニックに行ってみたことが始まりです。
元夫はコンピューター開発の技術者をしていて、ストレスの多い業界ですから仕事をしながらクリニックに通う同僚も少なくなく、それで私にも勧めてくれたのです。
その後、そのクリニックには行かなくなったのですが、後になって必要になった書類をお願いしに行った時に、お大事にして下さいと励まされたことが今でも印象に残っています。
小さなクリニックでしたが、いい先生でしたね。
それから別のクリニックに通いましたが、なかなか良くならないので思い切って大学病院に行ってみました。
大学病院って本当にそこで治療が必要なのかが検討されるんですよね。
私は入院しての治療を希望したのですが、割とすぐに決まりましたね。
いやはや、重症ですね。
当時は具合が悪いと元夫に当たり散らしていたので、私が入院したら元夫も少しは気が休まっただろうと思っていました。
私はかなり重症でした。
子供の頃から精神の問題を抱え、大人になってからわかったことですが、小学生の頃に既に離人症にも罹っていたのですから。
私に治療を受けさせるのは両親の仕事だと思うんですよね。
私の両親は1930年代生まれの古い世代ですが、それにしても無知と無理解が過ぎます。
私の状況を放置したために重症化した。
そう思いますね。
父はずいぶん昔に病死しましたが、母は未だに反省もしていません。
ちょっと人間としてどうなのかと思いますね。
あの人には今後関わりたくないです。
死んでも骨も拾いたくないですよ。
そのくらい精神疾患になった苦しみは大きかったのです。
大学病院では閉鎖病棟に入院しましたね。
同じ病棟にいた方はいろんな方がいました。
女性の患者さんだと私と同じ摂食障害の方が何人もいましたし。
私は年末年始も家には帰れず、大晦日もお正月も病棟にいました。
これはかなり貴重な体験ですね。
同じように病棟にいた患者さんたちは、大晦日には看護師さんに「一緒に紅白を見よう」と誘っていたりしていました。
大学病院の精神科、閉鎖病棟に入る。
そうそう経験できることではありません。
入院中はつらく、苦しいこともありましたが入院して治療を受けて良かったですね。
摂食障害に関してはぐんぐん回復できて、閉鎖病棟を出てからは何年のも間、落ち着いています。
大学病院にいる頃から、私に自閉症スペクトラム障害があることは担当医は認識していたようです。
今の主治医が大学病院からの書類を見て、私に検査を勧めてくれるまで私自身も気づきませんでした。
なぜ、大学病院で未告知だったのかはわかりません。
今の担当医が検査を勧めてくれたことは、結果として良かったですね。
私は自分に関することは全て把握しておきたいのです。
生まれながらの障害、自閉症スペクトラム障害があることで生涯精神科のケアが必要な身ですが、何事もそうであるようにプラスの方向に持っていけるよう努めたいですね。