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今日の札幌、小雨がパラパラ降ったりして寒いです。
それでも、先日ブログに載せたような花の写真を撮りたくて出かけていました。
花の写真、まだ時期的に早いのか、全然撮れませんでしたね。
今日は死んだ父の誕生日です。
公園に写真を撮りに行ったのですが、地下鉄やバスに揺られながら思い出していました。
父が死んだのはもう20年以上前のことです。
当時、まだまだ働き盛りといってもいいような年齢で父は死にましたね。
死因は癌です。
正確にいうと手遅れ近くまで放っておいたことで、父は死にました。
癌は今のところ、早期発見早期治療に勝るものはありません。
私も未だに経過観察をしていますが、治療を受けてから10年以上が経ちピンピンしています。
私はこのブログで母との不和について書いていますが、父も問題はありました。
父は発達障害だったのでしょう。
人付き合いが苦手、相手の気持ちがわからない、自分の意見や考え方に執着する。
このため、仕事が長続きしないという、致命的な欠点がありました。
私の生まれ育った家庭は貧しく、不安定でした。
私が精神疾患を発症したのも父のせいですね。
ですから、早く死んでもらってホッとしている部分があります。
気難しい人だったので、高齢になって頑固になったりすると付き合いきれません。
それでも、働き盛りの年齢で死んでしまったので可哀想だとは思います。
多くの人が第二の人生を歩き始める年齢で死んでしまったのですから。
父、生きていたら80代の半ばになりました。
どんなお爺さんになっていたのでしょう。
いろいろ問題はありますが、頭はよい人でした。
スマホやパソコンが一般的になる時代の前に死にましたが、生きていたら上手くスマホを使いこなしていたか、或いは気難しさもあってスマホを遠ざけていたか、このどちらかですね。
唯一、評価できるのは賢く、知的好奇心が旺盛だったことですね。
私が幼い頃から本を読んでくれたりして、知性を刺激してくれました。
父は向こうの世界で毎日何をしているのでしょうか。
私はまだ向こうの世界に行ったことがないのでわかりません。
ただ、父は時々、私のところに来るんですよね。
ちょっとホラーな話ですが、確かに降りてきて背後にいると感じ取れる時があります。
自分の父なので恐いとは思いませんが、時々、後ろにいるのです。
死んでしまっても私の父なのです。
早くに死んでしまったせいか、介護はすることなく思い出だけが残っています。
母は90歳近くになっても死ぬこともできずにいます。
本人も、無駄な長生きは無用と言っています。
そうですね。
人間、引き際が大切です。
父、早くに死んでしまっても今は幸せにしているのかも知れません。