自己肯定感の問題

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今日で食事制限は三日目。

明日はいよいよ大腸内視鏡検診の本番ですね。

小鳥のエサのようなものしか食べられていませんが、考え事は捗ります。

 

私は自己肯定感が高い。

そんなことを考えていました。

 

昨日も書きましたが、私が生まれ育った家庭は大いに問題があります。

私には自閉症スペクトラム障害がありますが、両親ともに発達障害だと思うんですよね。

父は知能が高く分別がある人間でしたが、母はかなり怪しいですね。

はっきり言って施設に入るか、社会生活を営んだとしても生活保護が必要なレベルですね。

一般的な理解力が乏しく、よって相手に共感できない、相手の気持ちがわからない。

立派な精神障害者です。

 

こういう環境で私は育ったので、自己肯定感が低くなりがちだったのではないかと思うのです。

子供の頃は優等生でしたが、大人になってから問題を起こすようになりました。

社会通念上、好ましくないことに染まり、問題行動を起こしてばかりいたのです。

 

子供の頃に優等生だったのは、自分を認めて欲しい一心だったからですね。

しかし、母は全く応えてくれませんでした。

私が摂食障害などの精神疾患に罹っても理解がなく、手を差し伸べてもくれませんでした。

 

こういったことが原因で、私の自己肯定感は低かったのです。

社会通念上、好ましくない行動に出る。

実はこのことを通じて私は自己肯定感を高めていったのです。

 

掃き溜めのような場所にはまりましたが、そういうことではいけないと気付くことで自分を高めていきました。

社会通念上、好ましくないことからは足を洗ったのです。

 

こういう話は定期的に通っている精神科の主治医とよくします。

自己肯定感が実は高い。

これを診断してくれたのも今の主治医です。

心理検査でわかりましたね。

 

しかし、今でも私は主治医に”グレている”という表現を使います。

私を尊重してくれない母には素っ気ない態度を取り、困りごとがあっても一切無視。

この態度のことを私は”グレている”と表現しています。

 

不十分な養育態度しか取らない親に対してグレるのは当たり前のことです。

今は母が死んでも葬儀はボイコットしたいので、どうやったらボイコットできるか思案しているんですよね。

 

母の葬儀を行えば、それなりに親戚も集まってくるでしょうから、それに対して失礼がないようにしつつ葬儀をボイコットする方法を考えています。

弟が仕切ることになると思うので、弟に協力はしつつも葬儀はボイコットする。

さあ、どんな方法を取りましょうか。

 

こういう邪なことを考えている私は、やはりグレているのです。

まあ、そういう風にしか育ててこなかった母の自業自得ですね。

 

兎にも角にも今の私は自己肯定感が高くなりました。

無理して優等生になるのも止めましたし、ありのままの自分で伸び伸び生きていこうと考えています。