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写真はイメージです。
いやはや、困りました。
昨日からのauの通信障害です。
私は20年ちかくauのユーザーなのですが、今回は困りましたね。
通話、メールが一切できなくなりました。
多くのauユーザーも通話が使えなくなることで緊急の連絡ができなくなり、困っていることでしょう。
猛暑の中ですから、例えば具合が悪くなって救急車を呼ぼうとしても呼べない。
これは非常に困ったというよりは、命に関わる問題ですよね。
周りに他社のユーザーがいたり、固定電話があればいいのですが、そうでなければ本当に困ります。
メールが来ないことで私以上に困ったという人も多かったようです。
例えば、ライブやイベントでしょうか、メールで通知が来るとかでそのメールが来ないと参加が危ぶまれるといった投稿をネット上にしている人も見かけました。
ネット上の情報によれば日曜日の17時半頃に復旧予定ということらしいのですが、どうなったのでしょうか。
因みに私はメールも通話も復旧しました。
ただ、日中、ネットに繋がらなくなりましたね。
ネット、通話、どちらも携帯電話、スマホの大事な機能です。
それが使えなくなれば、スマホはただの板みたいなものですね。
高度で便利な技術は実は脆い。
現代社会は脆い。
今回の通信障害でそう思いました。
元夫がコンピューター開発の技術者だったのですが、日頃からこう言っていました。
高度になればなるほど、技術というものは脆くなると。
人間の限界を超える情報処理の力を持つがゆえに、技術は一旦トラブルを起こすと厄介です。
私たちはすっかりそれに依存していますが、どこか一点に不具合が起これば人々は右往左往。
正に、社会全体が影響を受け、機能しなくなると言えるでしょう。
今回の通信障害で如何に私たちが携帯電話やスマホに頼り切っているかが見えてきました。
よく考えたら、昔は携帯電話もスマホもなくても社会は回っていたんですよね。
私が大学生の頃でも、実家はまだダイヤル式の黒電話でした。
外から誰かに連絡を取る時は公衆電話で、高度な技術と言えるようなものはせいぜい留守番電話だったでしょうか。
それでも十分に世の中は動いていました。
現代の私たちはもう後戻りできないところまで来てしまったのかも知れません。
高度で便利な技術を使いこなしているようで、実は振り回されているのかも知れません。
何の障害も発生していない時はよくても、何か一つあれば一気に崩れる脆さと隣り合わせです。
どうあっても、人間のすることですから100%はないですね。
そんな脆さをいつも頭の片隅に置きつつ、トラブルには臨機応変に動ける自分でいたいです。
技術が人間を振り回すのではなく、人間が技術を使いこなすのですから。