国破れて山河あり

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写真はイメージです。

 

今日はお風呂屋さんに行ってきました。

札幌の南部、定山渓というところにあるお風呂屋さんに行ってきました。

 

定山渓は札幌の南区にあり、街の中からは離れていて自然が豊かな地区です。

この自然の中にお風呂屋さんがあり、露天風呂は緑がいっぱいで寛げましたね。

 

露天風呂で足だけをお湯に浸け、のんびり寛ぎながらこんなことを考えました。

「国破れて山河あり」

 

漢詩の世界ですよね。

杜甫の作品ですね。

 

昨日も書いたのですが選挙が終わり、私はそう遠くない未来に日本は消滅するかも知れないと心配になりました。

そんなことを考えながらお湯に足を浸けて緑に囲まれていると、日本が消滅してもこの定山渓の緑は廃れることなく鮮やかであり続けるのだろうなと感じたのです。

 

地球の上には最初から国境線が引かれていた訳ではありません。

人間が勝手にやっていることなんですよね。

戦争も平和も、政治も経済も、全て人間が勝手にやっていることです。

愚かな人間は自ら破滅に向かっているのかも知れません。

 

そんな人間をよそに、自然は変わることなく悠々とした時間を刻んでいます。

正に「国破れて山河あり」

国家はなくなっても自然は変わらないまま、山の緑は変わることがないということです。

 

私は日本で生まれ、両親も日本人なので国籍は日本です。

しかし、そんなことは役所にある紙切れだけのことであり、私という人間は根源的には何者かということの答えにはなりません。

 

私はこう考えています。

私は地球人なのです。

いえ、宇宙の中の一つの生命体なのです。

いえいえ、宇宙を含むもっと大きな世界の中の一つの存在なのです。

こういう考え方は哲学の分野でよく出てきますね。

 

ですから、国籍が日本とかそういう小さなことはどうでもよい。

緑の色が濃い露天風呂で風に吹かれながら、そんなことを考えていました。

 

人間、国家、地球。

これらはまだまだ小さな存在なのです。

 

大昔から変わることなく、これから先も変わることがない緑。

その緑のように私は生きていこう。

そんなことを考えて緑の香りを嗅ぎ、風に吹かれ、足を柔らかなお湯に浸けていました。

 

「国破れて山河あり」

これは757年に杜甫が作った漢詩です。

757年、今から1200年以上前の時代です。

人間はこの頃から変わっていないのですね。

それにしても懲りませんね。

 

懲りない人間が天から罰を与えられる。

こういう話は古今東西、絶えることがありません。

今までは物語の中の話でも、もしかしたら現実になる日が来るかも知れません。

悔い、改めよですね。

 

今日は山の緑が何か大切なことを教えてくれました。

私はいつまでも変わることのない、色濃い緑のように生きていこう。

国は消えても、山の緑は不滅なのです。