病気と共存

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写真はイメージです。

 

今日もビアガーデンに行ってきました。

来週で終了なので名残惜しいです。

 

今日は家から札幌の大通公園で開かれているビアガーデンまで歩いて行きました。

歩くと1時間くらいでしょうか。

私は元気です。

 

とはいえ、私は病人です。

子宮頸がんの経過観察で3ヶ月に一度は検査が必要ですし、2週間に一度、メンタルの病院にも通っています。

3ヶ月に一度、がんの検査というのはなかなかしんどいですね。

 

それでも私は元気です。

病人と健康な人との境目はどこにあるのでしょうか。

それは程度の問題ですね。

生活に支障が出るような症状があれば治療が必要でしょうし、そうでなければ治療はしない。

こんな感じだと思うんですよね。

 

例えば、がん細胞は健康な人でも1日に5000個くらいは作られているそうです。

それでも病気としてがんが発症しないのは、免疫の力でがん細胞を殺しているからなのだそうです。

一日、5000個くらいがん細胞が作られていても人間って生きていけるんですね。

何万、何十万個とがん細胞が増えれば病気としてのがんになるのでしょう。

 

そう考えると、人間はどこからが病気で、どこまでが健康といえるのか。

線引きして考えるのは難しいですよね。

一種のグラデーションですね。

真っ直ぐな線を引いて分けられるようなものではなく、病気と健康の境目は非常に曖昧なのでしょう。

 

ですから、私は今の自分の状況を嘆いたりはしません。

寧ろ、定期的に状況を調べることができるのですから心強いのです。

 

人生一寸先は闇。

病気にならなくても、事故に遭って死ぬかも知れませんし、命があっても障害を負うようになるかも知れません。

 

小学生の頃、同じ団地に住んでいた私と同い年の男の子がいました。

その男の子は2歳くらいの頃に交通事故に遭い、体が不自由でした。

腕、下半身が動かせず、いつも車椅子に乗っていました。

その子とは毎日のように一緒に遊びましたが、今はどこで何をしているのでしょう。

その子は健常者として生まれても、事故で障害者になってしまったんですよね。

 

それに、こんなこともありました。

30歳で初めて人間ドックを受けた時のことです。

 

まだ若かったので、検査項目は全てA判定。

申し分のない健康な肉体ですね。

しかし、最後に面談をしてくれた医師がこう言いました。

 

「それでは、車には気をつけてお帰りください」

私は思わず爆笑しましたね。

 

そうなんです。

健康、健康と検診を受けて無事でも、帰り道に事故に遭っては元も子もありません。

 

こうして考えると、人間は常に紙一重のところを生きているに過ぎないのです。

人間は健康そうでも、一歩違えば真っ逆さまに落ちて行ったり、実は生活に不自由にならない程度に病気の芽を持ち続けている存在なのです。

 

ですから、私は常にがんの経過観察が必要でも落ち込むことはないですね。

生活に支障がないのなら、元気に過ごすのが一番です。

たくさん歩いたり、美味しいものを食べたり、趣味に打ち込んだり、今、この時を精いっぱい楽しむだけです。