貧乏高速バスの旅

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写真はイメージです。

 

昨日、水曜どうでしょうを見ていたら、韓国の高速バスに乗るという企画をやっていましたね。

皆さん、水曜どうでしょう、知ってますよね?

今や立派な俳優さんの大泉洋さんが出ていた、伝説の深夜バラエティです。

 

韓国でサイコロの旅(水曜どうでしょうと言えば、サイコロの旅ですね)を繰り広げ、韓国のグルメに挑戦という企画でした。

韓国の高速バス、凄そうですね。

外国の高速バスが凄いのです。

 

私も外国の高速バスに乗ったことがあります。

大学生の時、初めて海外旅行に挑戦した時のことです。

初の海外で一人旅をしました。

私は今でもそうですが、若い頃も無鉄砲なところがありました。

 

大学の生協にあった旅行取次の窓口を通して予約しましたね。

今のようにネットはない時代だったので、頼りになるのは「地球の歩き方」でした。

往復の飛行機と一泊目だけがパックになっているプランでしたね。

 

一泊目はバンコクのそれなりのホテルが用意されていましたが、そこから先は一週間ほど自由行動でした。

バンコク市内の旅行代理店に入り、英語が通じたので英語でいろいろ尋ねたり、プランを選んだり。

そこで勧められたのがサムイ島でした。

サムイ島、今は有数な観光地になっていますね。

私が訪れた30年ほど前も観光地でしたが、行ってみると素朴な感じがまだまだ残っていました。

ビッグブッダを見に行ったりしましたね。

 

サムイ島に行くのに、バンコクを離れ、確かスラ―タニ―だったと記憶しているのですが、そこから船でサムイ島に渡りましたね。

高速バスに乗ったのはバンコクからスラ―タニ―の間の移動でした。

夜行のバスでしたね。

深夜にバンコクを出て朝にスラ―タニ―に到着するバスでした。

 

いやはや、今ならできませんね。

若いからできたことです。

とにかくお金がなかったので、不便でも安いものを選ぼうと思えば、選択肢は高速バスでした。

 

まず、最初に驚いたのは運転手さん、バスのガイドさんのような人が普通の私服だったことです。

日本なら制服を着るか、男性はネクタイを着用していると思うのですが、普通のポロシャツみたいな格好でしたね。

 

高速バスにありがちな車内の映画上映では、ジェームズ・ボンドが出てくる007シリーズが流れていました。

最初、英語をタイ語に吹き替えたものが流れたので、バスの乗客は笑っていました。

 

タイの高速夜行バス。

意外と普通でしたね。

めちゃくちゃ運転が荒くて恐い思いをしたという記憶はないです。

 

何といっても料金が安い。

それだけで選びました。

 

ただ、変な男に絡まれたのがいちばん危なかったですね。

バスが走行中からひざ掛けを勧めてきたり、私が日本人だとわかると片言の日本語で話しかけてきたり。

片言の日本語で親しげに話しかけてくる人物には要注意です。

 

その変な男、朝になってスラ―タニ―に到着すると、サムイ島に渡ったらホテルは私と同室にしてくれと、勝手に旅行代理店のスタッフに言い始めたので私は激怒して否定しました。

だって、その男は私とは恋人同士だからホテルは同室にするよう勝手に旅行代理店のスタッフに言ってるんですよ。

確か、旅行代理店スタッフと言っても、到着したバスから降りてきたお客の相手を港の端の方で屋外でしていたのです。

 

今はこういうことはないとは思います。

スラ―タニ―からは漁船のような船でサムイ島に渡りました。

 

夜行の高速バス、漁船のような船。

大学生の貧乏旅行でとにかくお金がなかったです。

でも、楽しかったですね。

大冒険でした。

 

今ならもうできません。

体力が持ちませんし、恐いということもわかるようになったので、外国で夜行のバスに乗るなどもうできません。

 

サムイ島、あれから30年ほど経ち、今はどうなっているのでしょう。

また行ってみたいですね。

今度行く時は安全で、ゆっくり寛げて、安心できる方法で行きたいです。