豚小屋と糞溜め

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写真はイメージです。

 

私はこのブログ以外ではTwitterで活動しています。

自分の考えを投稿するのも楽しいですが、フォロワーさんとの交流も楽しいですね。

 

今日はあるフォロワーさんと私の祖母が豚を飼っていた話になりました。

祖母は肉として売るために飼っていたのですが、最初フォロワーさんはペットだったと思っていたようです。

 

豚、最近はミニブタなどをペットにする人もいるようですが、私の祖母はそんなにハイカラではありません。

豚は肉として売るために飼われていました。

豚を飼っていた祖母は母方の祖母です。

祖母は北海道のド田舎、小さな漁師町に住んでいました。

 

今の時代はそんなことはありませんが、母がまだその実家にいた頃や私が幼少の頃は、まだ豚を肉として売るために飼っていたようです。

 

祖母が住んでいたのは北海道のド田舎です。

母方の実家の裏には立派な豚小屋がありました。

祖母が一人で豚の世話をしていましたね。

 

私が幼い頃、遊びに行くと祖母は豚の世話を懸命にしていました。

豚に与える餌はほとんどが残飯でしたね。

祖母は家の外に釜戸を作り、そこに味噌汁やご飯、残ったおかずなどを入れて混ぜ合わせ、スコップで豚に与えていました。

豚も餌の時間になると興奮して二本足で立ち上がり、豚小屋の中の通路と豚が住むスペースの間にある仕切りに前足を掛けてキイキイ泣きわめいていました。

 

私はそういう豚が恐かったんですよね。

幼い頃の話ですから、興味本位で祖母に付いて豚小屋に入ったものの、豚が餌に興奮して立ち上がって鳴くのが恐くて入り口とは逆の出口から逃げ出したことがありました。

 

出口、裏口とでも言いましょうか、そこから飛び出した私は豚の糞溜めに足がはまり動けなくなりました。

豚の臭い糞に足がはまり、動けなくなった私が泣いていると祖母が助けに来てくれましたね。

何度も靴を拭ってくれたのを覚えています。

そんなに豚が恐いなら、付いてくるんじゃないとも言われましたね。

 

あれから何十年もの時間が流れました。

祖母も高齢になって豚の世話ができなくなり、豚小屋もなくなりました。

今は母方の実家があった町には私の親類はもう誰も住んでいません。

最近、聞いた話によれば、母方の実家の建物ももう取り壊されたそうです。

幼い頃、毎年遊びに行ったところが取り壊され、なくなるのは寂しいですね。

 

あんなにたくさんいた豚ももういません。

祖父母も亡くなりましたし、そこに住んでいた従兄弟たちも独立しています。

私が豚が恐くて泣きながらはまった糞溜めももうなくなりました。

 

豚小屋があった場所、母方の実家があった場所、今は更地になったそうですから次の時代にバトンタッチですね。