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写真はイメージです。
寒くなりましたねえ。
北海道はストーブの季節です。
ストーブ、冬には欠かせませんが昔と比べると変わりました。
昔、私が子供の頃のストーブは自動的に暖かくなるものではなく、点けたい時にスイッチを入れて火を灯すものでした。
私は保育園に行っていたのですが、毎日夕方に弟と母と一緒に帰る生活で、帰宅すると母がマッチでちり紙に火を点けストーブに点火していました。
部屋の中が暖まるまで時間がかかるので、ジャンパーは着たまましばらく過ごしていましたね。
学校の暖房はコークスという燃料を使っていましたね。
その当時はコークスとは何か、あまり考えずに使っていましたが、コークスとは何か調べてみるとこういうものらしいですね。
「石炭を蒸し焼きにして炭素の部分を残し発熱量が大きく石炭より高温を発する」
こういうものだそうです。
コークスのストーブを学校で使っていたのは私が小学生の頃のことですね。
今はどうなんでしょう。
私は自分の子供がいないのでわかりませんが。
コークスのストーブ、懐かしいですね。
当時は学校にコークス置き場があり、当番を決めて教室で使うコークスを取りに行っていたものです。
教室内の空気が乾燥しないように、蒸発皿と言われていた金属のたらいのようなものに水を入れてストーブの上に置いていましたね。
今考えれば、たらいの水はストーブの火に温められてお湯になりますから、零れたりすれば危ないですよね。
でも、そういうことを気にする人はほとんどいませんでしたね。
昔はおおらかだったのです。
コークスストーブの周りに給食のパンを置いておいて、熱でふっくらになったパンを食べたりもしていました。
北海道の冬にストーブは欠かせません。
ストーブがないと死にますね。
それでも昔は上述のように不便でした。
不便が当たり前でした。
不便といえば、大学生の時に家出していた頃のことです。
私は大学四年生の時に母と些細なことで喧嘩をして家を飛び出し、そのまま帰ることなくアルバイトをして生活しながら大学を卒業しました。
家を出たのはちょうど今の時期くらいだったので、ストーブが必要でした。
アルバイトをしたお金を握りしめて家を出たので、まずはストーブを買いましたね。
自分で灯油を入れて使うポータブルのストーブでした。
北海道が地元の人だとわかると思うのですが、ポータブルの石油ストーブに灯油を補給するのに入れ方のコツがあるんですよね。
上手くやらないと灯油が漏れて危ないです。
そのコツ、最初は掴めませんでしたが、一度掴めると上手くいくんですよね。
六畳一間のアパートに住んだので、ポータブルのストーブで十分でした。
そのストーブで暖を取りながら卒論を書いたものです。
自立して生活し学業もこなしていた頃、楽しかったですね。
ストーブの思い出、昔は不自由なことも多かったり、家出して自分で何でもやったり。
思い返すと思い出で心も温まってくるような気がします。