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写真はイメージです。
よくあることなのですが、今日も自宅の郵便受けに学習塾のチラシが入っていました。
私は何でもそうなのですが、ゴミ箱に捨ててしまう前にざっと目を通します。
学習塾、昔からあまり変わっていませんね。
学習方法の紹介や進学実績、費用などがチラシに載っていました。
私は学習塾というものに行ったことがありません。
小学生の時は本屋さんで売っている漢字ドリルや、算数の問題集を買ってもらって勉強していました。
今はそうではなく、小学生から受験勉強をしている子供も増えたようですが、私が小学生の頃は塾へ行く子供はまずいませんでした。
中学生になってから塾に行く生徒は増えましたが、それでもクラスの半分いるかどうかという感じでしたね。
私は行っていませんでした。
とにかく家が貧乏だったのです。
勉強は毎月届く教材を契約して、それを使って一人で勉強していましたね。
元来、私は人と集まって何かをするのが好きではありません。
一人で目標を決め、マイペースでコツコツ取り組むのが好きです。
こういう性格もあって、塾には行ったことがありません。
私は幼い頃から、死んだ父の言葉を借りれば利発で将来が楽しみな子供でした。
確かに、中学生くらいになると、周りのごく普通の生徒がつまらないものに見えて仕方がありませんでした。
どうしてこんなこともわからないのだろう。
こんなものは簡単なのに、なぜできないのだろう。
私は生意気な子供だったのです。
しかし、成績が良かったので周りの大人にはウケが良かったですね。
こうして成長した私は、一種の特技でもある勉強を活かして大学生になると家庭教師のアルバイトに夢中になりました。
教え方が上手い、人間的にも好感が持てる、生徒の気持ちを読み取ることができる。
このような理由で私は売れっ子になりました。
しかし、私が家庭教師のアルバイトにのめり込んだ理由は別にあったのです。
家庭教師の仕事は生徒さんが学校から帰ってきてからの時間帯で入ります。
一番多かったのは、19時スタート、21時終了の時間帯での指導でしたね。
21時に終われば、家に帰るのは22時くらい。
私の両親は早く寝る習慣があって、22時には寝ていました。
私はできるだけ両親と顔を合わせたくない。
両親が寝てから帰宅して、あとは自室に入り干渉されたくない。
つまり、家に寄り付きたくない。
そう考えて、夜遅い時間まで家庭教師のアルバイトをしていたのです。
どうでしょう、自分の娘が毎日のように遅くまでアルバイトをしていたら、思いませんか?
何か理由があって、家に寄り付きたくないのではないかと。
父も母もそうは思っていなかったようですね。
父は少しだけ心配してくれました。
しかし、母は駄目ですね。
私が元夫と結婚する時、両家庭の顔合わせをした時に、私のことをとにかく金が好きでそのためにはいくらでも働くのだと、元夫のご両親に向かって言い放ったのです。
要するに人様に対して私のことをディスったわけですね。
私の母はこういうトンチンカンなことを平気で言う最低の人間です。
人の行動の裏に隠れた本当の気持ちを考えようとしない欠陥人間です。
こんな人の介護は真っ平御免ですね。
勉強はできても、できたらできたで、人間は悩みが尽きません。
それでも、多くの大人は自分の子供に良い成績を修めてほしい、良い学校に行ってほしいと望みをかけます。
うーん、子供が勉強が好きならいいのですが、あまり期待するのも如何なものかですよね。