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今日はこんなツイートを見かけました。
障害者の幸せは障害年金の申請に通ったとかだが、健常者の幸せは結婚したとか家を建てたとかで、障害者の幸せは健常者の幸せに比べて惨めだ。
こんな感じの内容でしたね。
しかし、果たしてそうでしょうか?
それは違いますね。
健常者のスタンダードな幸せが必ずしも絶対的な幸せではありません。
傍から見て幸せに見えているだけかも知れませんし、そもそも幸せとは人と比べることではありません。
健常者の幸せ、私も元夫と結婚してすぐに家を建てました。
その頃は精神疾患の治療もしていませんでした。
しかし、今は離婚して一人です。
自分の子供もいません。
精神科の病院に定期的に通っています。
さあ、私は不幸せなのでしょうか?
そんなことは自分で決めることですね。
私は今、幸せです。
自由な時間がたくさんありますし、就業が困難なので障害年金を受給し生活保護を頂いて暮らしていますが、足るを知れば快適です。
これで十分です。
今は健常者でも、事故に遭ったり病気になったりすれば、いつ、誰が障害者になるかわからないですよね。
障害を持っているから不幸とか、そういうことはありません。
私も生まれながらの障害がありますが、寧ろ障害がある方が一般的な普通の人よりも研ぎ澄まされた感覚があると実感しています。
健常者のスタンダードが幸せとは限らないんですよね。
隣の芝生は青く見えると言われます。
しかし、私はそもそも隣の芝生に興味がありません。
自分の家の花壇を愛でて、どうやったらより綺麗な花を咲かせることができるか、そう考えれば満足です。
健常者、障害者と分けて考えるのもどうなのでしょう。
上記のように、健常者から障害者になるかも知れない確率は100%です。
人間、生きていればどんな災厄が降り掛かってくるかわからないですよね。
健常者と障害者との間には明確な線は引けないのです。
幸せはどこにあるのでしょう。
それは自分の心の中だけです。
恵まれていてもそれを感じ取ることができなければ不幸ですし、外側から見て不幸でも自分が良ければ幸せなんですよね。