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写真はイメージです。
最近、話題でしたよね。
75歳になったら死を選べる社会がやって来るという設定の映画。
私は個人的にはありだと思います。
75歳になったらガス室に送られ処刑される訳ではないんですよね。
作品は見ていませんが話題になっていたので、私が知る範囲ではありだと考えています。
最近は高齢者の問題が深刻です。
例えば、交通事故。
高齢ドライバーの暴走で若者が迷惑しています。
免許返納は当然ですね。
私がこう考えるのは、母との関係が最悪だからです。
母は人間を卒業しなければ駄目ですね。
母は今すぐにでもいなくなってもらいたいです。
私が苦しみ、助けを求めている時に、母は何もしてくれませんでした。
自分には責任はないと考えているようです。
私は小学生の頃から精神に不調を抱えていました。
今は定期的に精神科の病院に通い、サポートが必要な身です。
精神の不調を抱えているのは、家庭環境が良くなかったからです。
小学生ですよ。
小学生の不調は親の責任ですよね。
母はそういう意識は全くないようです。
何を話してもトンチンカンですし。
何と言っても、自分は必ず正しいと考えていますからね。
早く仏壇の中に引っ越してもらわなければ、若者が納めた社会保障費の無駄遣いです。
こういうお年寄りって他にもいませんか?
独善的で理解力がなく、自分だけは間違っていないという勘違いが甚だしいお年寄り。
はっきり言って、日本を駄目にしているのはこういうお年寄りたちです。
現代にも姥捨て山が必要ですね。
私は率先して母を連れて行きますよ。
母は口ではこんなことを言っています。
「私と弟には迷惑はかけられない」
はい、そうですね。
あなたは生きていること自体が迷惑、存在自体があり得ません。
こう言い返してやりますよ。
わかっているなら、自力で山奥に行きなさい。
私が連れて行くまでもありませんね。
姥捨て山伝説は昔からありますよね。
質の良くないお年寄りが若者の足を引っ張る。
昔からあったから、姥捨て山伝説は今に始まったことではないのでしょう。
私の父は早くに病死しました。
父は最後までやり残したことがあって、それをそのまま残していくことしかできませんでした。
しかし、ある意味、この方が本人も周りの家族も幸せなのかも知れません。
母本人は口を開けば向こうの世界に行きたい、そんなことばかり言っています。
そうですね。
みんな、そう思っています。
母が生きていることで、周りの家族みんなが不幸になるんですよ。
弟は仕事が忙しく、お嫁様は病弱です。
私の姪は今年、高校を卒業、これから夢と希望に満ちた未来が待っているはずです。
私も障害を抱え、自分のことで精一杯です。
母の存在は皆にとって迷惑でしかありません。
昔から愛されるような接し方をしてくれば、こんな風に思われずに済んだのに、母の身から出た錆ですね。
今は高齢者は珍しくもなければ、高齢だというだけで尊敬される時代ではありません。
それなりのことしてきた人だけが尊敬され、尊重されるのです。
私の母はそれには該当しませんね。
さようならです。
姥捨て山が見つかれば、すぐにでも母を捨ててくることでしょう。