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イラストはイメージです。
今日は母の日なんですね。
しかし、私には関係ありません。
母のことはもう死んだと思っていますし、母も私に対してそう思っていることでしょう。
母は私はもちろん、弟にも弟のお嫁様にも疎まれています。
なぜか?
それは、母が相手の気持ちがわからない人間だからですね。
言ってはいけないようなことを平気で言う。
相手が不快に感じて怒っているのに、それを感じ取れない。
自分の何が相手を怒らせているのか理解できない。
こういう人間に関わろうという人はいるでしょうか?
普通、いませんよね。
昔のことですが、私は中学生の時に摂食障害を発症しました。
痩せ衰えて、体重が30kgくらいになってしまいました。
それなのに、母はこう言っていました。
成績が良いから、いつも学年でトップだから、心配ない。
これは、もう人としてどうなんでしょう。
このことを私が大人になってから追及すると、母は”もう昔のこと。過ぎたことだ”と言っていましたね。
人としてどうなんでしょう。
そうはいっても、母は悪人ではありません。
上記のような信じがたいことも、悪気がなく口にしているのです。
しかし、その方がある意味、言われた方は傷つきますよね。
母はそういう気持ちに寄り添うことができない人間なのです。
このことは私がまだ結婚している時に、お姑さんも言っていましたね。
「とまとちゃんのお母さんは、人の気持ちがわからないいんだね」
こう言われていましたね。
母は障害者なんだと思います。
私には発達障害、自閉症スペクトラム障害があります。
このことは最近は遺伝による影響があることもわかってきています。
確かに、死んだ父は明らかに発達障害です。
娘としてずっとそばにいたからわかります。
そして、母も発達障害でしょう。
相手の気持ちがわからないのは典型的な発達障害です。
母は1930年代の生まれです。
こういう古い人間は発達障害を知りませんが、知らないのであれば学ばなければなりません。
母はそういう意識にも欠けていますね。
こうなると、もう、どうしようもないと思いませんか?
母が自ら意識を改め、学ぼうという気持ちにならなければ、今後も関係の改善はあり得ないでしょう。
母はもう90歳近いですが、年齢は言い訳にはなりません。
甘えられても困りますよね。
ただでさえ、高齢者が増えて若者の負担は増しているというのに。
こういう高齢者は、若者が汗水たらして納めた税金や社会保険料で生かさなくてもよいような気さえしてきます。
そもそも、人間として問題がありますから。
そのような訳で、私に母の日はありません。
これからもそうですね。