一日遅い父の日

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写真はイメージです。

 

昨日は父の日でした。

一日遅いですが、父の日について書きます。

昨日はエスコンフィールドHOKKAIDOに観戦に行っていたので書けませんでした。

それに、今日は父の月命日なのでタイミングがいいですね。

 

父の日、父に何かプレゼントを贈っていたのかももう思い出せません。

よくあるのはネクタイとかなのでしょうが、父はネクタイを締めて仕事をしていなかったのでネクタイは贈ったことがありません。

父は肉体労働をしていたのです。

自分のことをよく”労働者”と言っていましたね。

 

父が死んで20年以上経ちました。

父はがんで死にましたが、それは発見と治療が遅れたからです。

自覚症状が出ても病院に行かなかったことで、父は寿命を縮めました。

 

父は8月に死にましたが、その2ヶ月ほど前の父の日の頃は治療が全く効いてなく緩和ケアしかできないと担当医に言われていました。

20年以上前のことですが、その頃から本人にも告知はしていましたね。

 

それでも、父は取り乱すことはなく静かに過ごしていましたが、私は父が夜中に一人で病院のベッドに潜り泣いていたのではないかと今でも思います。

早く病院に行かなかったことを悔い、後悔の涙を流していたと思います。

 

父は死後、どこに行ったのでしょう。

私は特別に霊感が強いということはないのですが、父が私から離れないでいることを常に感じています。

背後霊、守護霊のようなものになって私の背中から離れない。

いつもそう感じています。

 

惚れて結婚した妻、母のところには行っていないようですね。

母からそういう話を聞いたことがありません。

なぜ私に付いたのか?

 

私は外見は母にそっくりですが、内面は父そのものです。

それに、父ができなかったことをやってのけてきました。

父が合格できなかった大学に現役で合格できたり、がんでも死んではいませんし、それにものの考え方が父にそっくりです。

外見より中身ですよね。

中身が自分自身である私から父は離れたくないのでしょう。

 

これは自分ができなかったことを、私に成し遂げて欲しいという父からのメッセージだと考えています。

父は死んだことで永遠になりましたが、その思いを私に継いで欲しいのでしょう。

だから、父はこれからも私に加勢してくれます。

既に私は父を超えています。

そこに更に加勢してくれたら最強ですね。

 

父親を超える話というのは、息子がそれを成し遂げるというのがよくある話だと思うのですが、私は娘でやってのけています。

娘、女の子が可愛いだけの時代は終わりました。

父に加勢してもらいながらその思いを継いでいきたいですね。