本編の前にご案内です。
このブログ「とまとの呟き」の姉妹版、「とまと文学部」で小説も公開しています。
最新話の更新は毎週日曜日の夕方以降です。
「とまと文学部」では新作の『スーパースターはごきげんななめ』を書いています。
下のバナーをクリックで物語が読めますよ。
バナーのリンクは第一話が出ますが、それより後の話はパソコン版、スマホ版ともにページの一番下にタイトルが出ています。
そこをクリックで最新話の前の話も読めますよ。
よろしくお願いします。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
写真はイメージです。
私の日課は散歩です。
ほぼ毎日のように歩いています。
心身の調子を良く保つためには打ってつけです。
昨日は小学生の頃に住んでいた辺りをぶらぶら歩きました。
住んでいた家はもうなくなっていて、別のマンションが建っていましたね。
同じ敷地にあった大家さんのお宅もなくなり、別のお宅が建っていました。
ずいぶん時間が経ったことを実感しました。
それでも通っていた小学校は変わらずありましたね。
壁の色を塗り替えて違う色になっていましたがありました。
変わったのは敷地内にプールができていて、子供たちがプール学習を行っていたことです。
私が通っていた頃は学校専用のプールがなく、外の施設に遠足のような感じで行ってプール学習が行われていたのです。
その小学校に通っていたのは、もう40数年前のことです。
私は小学校を四校変わっています。
同じ小学校には平均すると一年半くらいしか行っていない計算になりますね。
いくつも転校したのは父の仕事が安定しなかったからです。
父は昔の人間なので診断はされていませんが、おそらく発達障害です。
だから私も発達障害なのですが、父はとにかく仕事が長続きしない人でした。
とはいえ、昨日、小学生の頃に住んでいた辺りを歩くと父のことを思い出していました。
その頃の父はまだ若くて40代前半、今の私よりずっと若かったのです。
父は死後、私の背後霊になり片時も私から離れません。
そういうことは迷信でもなんでもなく、確かに存在する。
私はそう考え、感じ取っています。
ですから昨日は昔住んでいた町を歩いて、父も懐かしい気持ちで私の意識の上に浮かび上がってきたのでしょう。
父は問題だらけの人間でしたが、悪人ではないので懸命に生きていました。
その意識が昨日、懐かしい場所を歩くことで浮かび上がってきたのです。
昨日、私が通りかかった時に小学校ではプール学習が行われていました。
子供たちの歓声、指導する先生の声、活き活きしたエネルギーに満ちていましたね。
子供は可能性の塊です。
子供の歓声にはそういう生きるエネルギーのようなものが詰まっています。
私にもそういう時があったのだと、昨日は感じました。
小学校の周り、ラジオ体操をした空き地には家が建ち、風邪を引くと行っていた小児科の病院があったところはマンションになり、毎日のようにオヤツを買いに行っていた商店はなくなっていました。
すっかり景色は変わりましたが、小学校は変わらずありましたね。
そこだけ時間が止まって見えました。
あの小学校はこれからも思い出の拠り所になっていくのでしょうね。