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tomatoma-tomato77.hatenablog.jp

写真はイメージです。
明日は敬老の日ですね。
私は考えます。
敬老の日って何のためでしょうか?
今の日本に必要ですか?
私がこう考えるのは以下の理由によるものです。
高齢者が増えすぎてもう昔のような高齢者福祉は無理があります。
私の母を見ていて思うのですが、老後のビジョンがないまま漠然と年を取り若い世代に依存していないか?
せめて、先々介護されない自分でいられるよう努力したらどうなのか?
母を見ていたらこういう心構えが欠けています。
若い世代におんぶに抱っこは見苦しいです。
私ももう60歳近いのですが、だからこそ、最近の高齢化社会を見ていると漠然と年だけ取って、あとは若い世代に依存、こういう高齢者が多いように思えるのです。
年金も介護も、昔のように高齢者が少なく若い世代が多ければ成り立っていたのでしょうが、もう限界だと思います。
60歳近い私は高齢者福祉を当てにしないでおこうと考えています。
少しでも運動の習慣をつけて介護されない自分を目指すとか、食生活にも気をつけて健康管理をしたり、考え方をアップデートするよう努めたりなどですね。
私は母が反面教師です。
介護されない自分でいる努力をしない。
考え方のアップデートをしない。
これは駄目ですね。
そもそも、母は考え方のアップデートとは何かを知りません。
頭の中が昭和30年代で止まっていますね。
人間って自分が働き盛り、青春時代のことが頭の中に残るようです。
だから母も頭の中が昭和30年代のままなのでしょう。
昔のように60代で寿命を迎えるのであれば構わないのでしょうが、栄養状態だけが良くて無駄に80代、90代を迎える時代にそれは困りますね。
若い世代が困ります。
限界を迎えた高齢者福祉。
そんな日本に、敬老の日は必要なんでしょうか?
敬って欲しいのは、高齢者のために社会保障料を納めている若者世代ではないでしょうか?
私ははっきり言うと、敬老の日はもう要らないと思います。
もう、それどころではないですよね。
敬われるのにふさわしい年の取り方をした者こそが受けられるものであって欲しいと考えています。
もちろん、私はそんな高齢者になろうと努めます。
みっともないくせに、敬われるわけにはいきません。
そういうことを恥ずかしいことだと思い続けたいです。
正に、ボケてる暇はありません。