発信を続ける理由

今日は、メインのブログの方『とまと万夜一夜物語』の更新はお休みしました。

人間なので、書けない時もありますよね。

 

昨日から、かなり不機嫌だったのです。

ネット上では、主にTwitterで活動しているのですが、不満と言うか物足りなさを感じ、昨日は不機嫌でした。

 

耳目を集める投稿の多くが、画像や写真、自作のイラストだったりすること。

その多くが、含蓄のない浅い内容で占められているところに、違和感を感じたのです。

 

私は、ずっとそうです。

 

人様の投稿に文句を言っている訳ではありません。

率直に、内容に対する物足りなさを感じるのです。

 

もっと言葉での表現で響き合いたい。

これが私の素直な欲求です。

フオローして頂く方々との交流もありますが、物足りなさを感じることが多い。

 

その程度しか感じていないんだ。

その程度しか考えていないんだ。

 

絶望にも似た気持ちになることもあります。

先ほどTwitterにも投稿しましたが、例えば、同じ価値観を持つはずの、THE ALFEEを共に応援する仲間、アル中の同志の方と、仲良く交流はできるものの、なんだか物足りなさも感じます。

 

皆さん、無邪気すぎる。

ただ、メンバーが大好きとか、グッズが待ち遠しいとか、ライブに行きたいとか。

そこで発想が止まってしまっていると、私は感じてしまうのです。

 

例えば、メンバーが大好きだからとしましょう、これを踏まえてもっとご自身の内面を語って欲しい。

私は、それを求めています。

だから、無邪気な同志には物足りなさを感じるのです。

 

そして、よく見られる傾向として、画像が添えられた投稿ほど発言の内容重視ではないにも関わらず、耳目を集める。

これには、物足りなさと共に違和感を感じます。

 

私に絵心がないと言ってしまえば、それまでですが、話の内容より目を引く画像であることが重要視されることには、違和感を感じます。

やはり、無邪気なんですよね。

 

無邪気で深掘りしないものには、違和感と物足りなさを感じます。

 

無邪気に気の利いた画像を添えればいいのか?

何を発言したかよりも、誰が発言したかが重要である。

 

このような傾向には、違和感を感じます。

私は意地でも話の内容で勝負してやると、臍を曲げます。

 

画像を使わず、文字数が多い傾向の投稿は、耳目を集めません。

私は、注目されたいとか、人気者になりたいとかではありません。

 

しかし、安易な画像に満足するのではなく、この発言は何を主張しているのか?

それを受けて、自分は何を感じるのか?

そういった言葉のキャッチボールを、私は求めています。

 

残念ながら、これに響いて下さる方は少なく、寂しい気持ちになります。

 

では、ネット上での活動を諦め、発信をやめるのか?

それは違います。

 

物足りなさを感じ、違和感を感じるからこそ、その中で一人気を吐く。

こういう気概を捨て去ることは、決してできません。

 

このブログの第一回でも述べたように、私には自閉症スペクトラム障害という、生まれながらの個性があり、それが能力の偏りという形で表れている。

これだけの偏りがある人間は、全人口の0.4%しかいない。

そう診断されましたから、私が理解者を見つけるのは容易でないことは十分承知しています。

 

だとしても、あまりに大衆が安易であることには物足りなさと違和感、そして、孤独を感じます。

 

前述したように、共にTHE ALFEEを応援する同志である仲間に対しても、無邪気な違和感を感じることが少なくありません。

 

ネット用語的な「箱推し」であるとか「◆〇班」というような言葉を使うことも、理解できません。

 

普通の日本語では駄目なんでしょうか?

グループをそのまま応援しています、とか、メンバーの◆〇さんが好きです。

こういった表現では駄目なんでしょうか?

 

同じ目標に向かう仲間であるはずなのに、孤独を感じざるを得ません。

 

正に、THE ALFEEの曲・WIND OF TIMEに出て来る歌詞『たとえ今が一人だとしても、悲しむことではない』という、これが今の私の心境です。

 

こんな調子ですから、ネット上の無邪気な大衆は苦手ですし、違和感と物足りなさを感じます。

 

でも、だからこそ、私は退場はしません。

こういう人間の存在が消えてはならないと考えるからです。

 

発信し続け、無邪気さに違和感を感じる人間の存在を消してはなりません。

 

私は若い頃から、ずっとこういう価値観です。

その理由はわからないまま来ましたが、自閉症スペクトラム障害という個性を持ち、そもそも他の大部分の人とは、見えている世界が違っていることによるものだと、最近になってこの個性が診断され、気付きました。

 

この個性を最大限に生かし、突き進み究めること。

これが私の進むべき方向だと気付きました。

 

ですから、もしかしたら、まだまだ突き抜け方が足りないのかも知れません。

メインのブログ『とまと万夜一夜物語』も、以前のように完全な一人の世界、独走でよかったのかも知れません。

 

最近は、読んで下さる方の目線を、少しだけ意識して書くようになりました。

しかし、それは後退を意味し、物語をつまらなくしているのかも知れない。

そういう風にも考えました。

 

やはり、私の生きる道は、躊躇することなく個性を伸ばし、突き抜けること。

もっともっとクレイジーでいいのです。

創作とはそういうものです。

 

自らの個性に遠慮することなく、中途半端な妥協はしない。

孤独や違和感、物足りなさすらも前進の原動力とする。

そして、誰にもできないこと、考えつきもしないことを作り上げる。

 

これが、私が発信をやめない理由です。

私のような著しい能力の偏りがある人間は、全人口の0.4%。

 

実に面白いではありませんか。

ありふれた大量生産品ではない、一点ものは貴重な存在です。

この稀有で貴重な火を消してはならないのです。

 

ですから、私は発信をやめないのです。

 

少数の理解者でも、100万人分の理解を得られればいいのです。

誰にでもできることに満足せず、誰も気付かないことに気付き、オリジナリティーを追求する。

 

これが、私にとっての発信の意味です。

 

今日は、このような事情で不機嫌でした。

このような精神状態では、メインのブログ『とまと万夜一夜物語』を書くことはできませんでした。

 

人間ですから、心が乱れたり、やる気が起きなかったり、いい案が浮かばないことは普通のことです。

逆に、この2、3ヶ月間、ほぼ毎日のようにアイディアが浮かび、メインのブログ『とまと万夜一夜物語』を書き続けてこられたことは、一定の成果だとも考えています。

 

ありのままに、思うがままに己の世界を表現する。

今までも、これからも、ずっとそうでありたいと考えています。

 

ここでやめてしまったら、そこで終了してしまいます。

発信や創作を止めることなく、継続は力なりで進みます。

 

何事もブレてはならないのです。

前出の、THE ALFEEを共に応援するはずの仲間にも違和感を感じると述べた部分との関りで言えば、違和感を感じる部分はあっても、感じる心意気は共通です。

 

ブレずに継続する。

これぞ、THE ALFEEの心意気。

この点は違和感なく、共に応援する仲間たちと共有したいテーマです。

 

ブレずに、私のままで前進。

発信はやめません。

 

メインのブログ『とまと万夜一夜物語』は、今日は書きたいと思っています。

いつも見に来て下さる通の皆様、またよろしくお願いします。