THE ALFEEバブル

昨日、一昨日とTHE ALFEEの話をしたところ、実に多くのアクセスがありました。

THE ALFEEを共に応援するアル中の同志の皆様にご覧いただいたのだと思います。

 

誠にありがとうございました。

 

さて、今日はTHE ALFEEの話を半分、違う話を半分。

この割合でお話を進めたいと思います。

 

このブログ「とまとの呟き」は、THE ALFEEに特化したブログではなく、いわゆる雑記ブログです。

基本的に私がその日、思いついたことを書き散らすブログです。

 

いつまでも、THE ALFEEの話では引っ張れないので、明日以降はまた日常に戻ることと思います。

 

昨日、一昨日と多くの方にご来場頂き見て頂けた訳ですが、

一気にアクセスが増え、私の中では『THE ALFEEバブル』とでも言うべき現象でした。

 

Twitterでもそうですが、THE ALFEEという語を入れることで、見られる確率がグンと高くなります。

THE ALFEEは耳目を集めるコンテンツなのです。

 

昨日は、私に自閉症スペクトラム障害という発達障害があるために、多くの人と視点が異なっているというお話もしましたが、それを抜きにしても私の視点は一般的なものからずれています。

 

どのくらいずれているかと言うと、もうかなり昔の話ですが、精神疾患の治療で大学病院の精神科・閉鎖病棟に入院していたことがありました。

 

その時に診断されたことが、私のパーソナリティーはかなり特異なもので、私が丸く見えているものは、周りの方には四角く見えているというものでした。

主治医曰く「とまとさんは、平たく言うと変わった人です」。

 

何ということでしょう。

大学病院の偉い先生に”変人認定”されてしまいました。

 

このような私ですから、かなりの天邪鬼でもあります。

 

THE ALFEEとは耳目を集めるコンテンツであるという話に戻ると、つまり、私はこのような優れたコンテンツにも頼りたくないと思うのです。

 

既成のコンテンツに頼るのでなく、自分のオリジナルな発想で0(ゼロ)から起こすことを目指したい。

そういう欲求が強いので、ブログにおいてもTHE ALFEEというコンテンツに頼らず、通常運転に戻してこそ読者を獲得したいと考えています。

 

耳目を集めるコンテンツを扱えば、アクセスは伸びるかも知れませんが、それは私の本当の実力ではない。

0(ゼロ)から起こしたものが多くの方に見て頂けるようになってこそ、一人前の文章が書けたと思うので、既成のコンテンツには頼らず進もうと思います。

 

今後、またTHE ALFEEをめぐる大きなニュースが出て来た時になってみないとわかりませんが、今のところは一旦、THE ALFEEの話題は終了にします。

一気にアクセスが伸びた『THE ALFEEバブル』は一旦終了です。

 

今後、このブログ「とまとの呟き」で、THE ALFEE以外の話題でも楽しめるという方は大歓迎です。

 

ところで、別の意味で『THE ALFEEバブル』という言葉を捉えてみたいと思います。

今の10代、20代の若いアル中さんは、完成形のTHE ALFEEのイメージが強いでしょうか。

 

私は50代。

無名の時代からTHE ALFEEを認識していました。

 

そこから、1983年のメリーアンの大ヒットで、THE ALFEEは一気に浮上します。

私は個人的に、この1983年からの数年間ほどの時期を『THE ALFEEバブル』と呼んでいます。

 

つまり、一気にヒット曲は出たけれど、芸能界は水物の世界です。

正直、THE ALFEEがどこまで行けるかは未知数な部分もありました。

 

それが、1年たち、2年たち、3年たち、着々とその地位を不動のものにしていったという感じでしたね。

 

今、振り返ってみれば、結果的に『THE ALFEEバブル』にまつわる不安は杞憂に終わった訳ですが、1980年代の前半頃まで、10代の終わりから20代だった私は、THE ALFEEの進む方向を案じていたのです。

 

アル中の皆様は如何でしょうか?

メリーアンのヒット後、THE ALFEEがどこまで行けるか、不安になることはありませんでしたか?

 

私がこのような不安を完全に払拭したのは、1989年の「DNA Communication」の発表以降ですね。

 

今は皆様、普通に聴いていますが、1980年代にあのコンセプトはアヴァンギャルドでシュール、いきなり「遺伝子」に関することがコンセプトという発想は、かなりブッ飛んだものに感じました。

 

これだけブッ飛んでいても、THE ALFEEはますます驀進しました。

この時からですね、THE ALFEEはどこまで行けるかという不安が払拭されたのは。

THE ALFEEバブル』は、弾けることなく杞憂に終わった訳です。

 

THE ALFEEは弾けて消えるバブルではなく、不動の地位を確立し、今も精力的に活動し更なる進化を遂げようとしています。

 

さて、このDNA Communicationが発表された1989年ごろ、日本の経済はバブル景気に湧いていました。

 

私は大学生で、今で言う就活をする時期に差し掛かっていました。

卒業後の進路を決めるにあたっても、THE ALFEEの歌の”教え”が私を導いたのは言うまでもありません。

 

その頃の就職の花形は金融関係という傾向がありました。

銀行、証券会社などからお誘い頂き、お声がけして頂いたこともありました。

 

でも、私はそちらに行くことができませんでした。

THE ALFEEバブル』の行く末を案じたように、日本経済のバブルにも懸念を抱いていたのです。

 

日本国のバブルの方は弾けましたね。

私が大学卒業後、就職を決めたのは物を作って売る会社でした。

形ある物を作り、買って頂く。

一見、古臭い価値観のようですが、私はそこに確固たる未来を感じたのです。

 

大学の同級生の中には、バブルの崩壊、金融再編の波に巻き込まれた人もいました。

バブルはいつかは弾ける。

そう考えて進んで、少なくとも私にとってはそれは間違いではなかった。

そう実感しました。

 

日本経済のバブルは弾けましたが、『THE ALFEEバブル』は弾けなかった。

 

バブルの時代、金融機関が再生や再編の波に翻弄されても、THE ALFEEは何物にも翻弄されることはありませんでした。

 

そして今、ますますその足元を固め、未来に向けて進化を遂げ続けていきます。