宇宙が終わっても夫婦別姓

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たまたまですが、今回も夫婦別姓の話です。

夫婦別姓、私は断然大賛成です。

以前も書いたかも知れませんが、子供の頃から母に理不尽なことを言われてきたことが原点になっています。

 

忘れることはないですね。

小学校四年生くらいのことでした。

母はこんなことを言い出したのです。

 

「女の子は”嫁ぎ先”に差し上げる”もの”」

「嫁ぎ先に気に入られるようになりなさい」

「私はとまとを完璧に躾けて家事ができるようにしたからどこに”嫁に出しても”恥ずかしくない」

こういうことをドヤ顔で言っていましたね。

 

どれも間違いです。

傲慢以外の何ものでもありません。

私を個人として尊重せず、世間体が大事で、決められた枠に収まって役割を果たすことだけを求める発言ですね。

私は自分が尊重されていないと感じましたし、それなら私という人間ではなく他の誰でも良いのではないか。

こんな風に考えましたね。

 

私は中学一年生の時に摂食障害になりましたが、母のこういう理不尽な言動で自分を肯定することができなかったことが大きく影響しています。

母のそういう考え方の根底にある「家制度」と「家父長制」の亡霊は、百害あって一利なしです。

 

母はありふれた一般市民ですが、一番の問題はそういう市民がこのような差別的な思想に染まっていることです。

だから日本は衰退しているのです。

差別的な結婚にノーを突きつける人が増え、結婚が減り生まれる子供も激減しています。

愚かな日本人は自分の首を自分で絞め、順調に減っていますね。

 

私はこのまままなら日本人はいなくなっても構いませんし、日本がなくなっても良いと考えています。

人を尊重しない国は地球上に必要ありません。

 

このような考えに基づき、私は死んでも、宇宙が終わっても断然夫婦別姓です。

母、本当に愚かです。

自分の無責任な、自分の頭で考えない借り物の考えで私を傷つけてきました。

 

それでも反省せず、自分の過ちに気づいていません。

なんだか今の日本の縮図ですね。

私はそんな母にノーを突きつけ、90歳近くなった母を完全に無視しています。

 

自分がやってきたことが子供から返ってくる。

こういう高齢者って少なくないのではないでしょうか。

日本全体を見てもそんな感じですよね。

 

死んだ父の名言です。

「日本人は狂っているんだ」

全くですね。

 

夫婦別姓もできず、人を大切にしない日本。

本当に消える日も近いのかも知れません。

結婚で改姓した父は鬱になってました

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私はSNSを眺めるのが好きです。

一番盛んに活動しているのはX(Twitter)ですね。

私は今でもTwitterと呼んでいるので、これからここではTwitterと言うことにします。

中でも夫婦別姓の話題には注目しています。

父が名前のことで苦労していたからです。

 

今日はテーマそのままですね。

私の父はもうずいぶん昔に病死しましたが、昭和30年代に結婚して母方の姓に改姓しました。

理由は母の兄から頼まれたからだそうです。

母方の実家は漁師で、母と兄の二人兄妹、漁師の仕事は危険が伴うので兄が死ぬようなことがあれば家系が途絶えてしまうと言われたそうです。

 

それと父は8人兄弟の7番目、三男であったことで父方の身内も「どうぞどうぞ。●〇も△▼も同じだ」と父の改姓を他人事のように受け流していたそうです。

このことは私が成長してから父に聞きましたが、父は三男だからどうでもよく扱われ不快だったと言っています。

 

父は母に惚れ込んで結婚したい一心で母の兄からの求めに応じたのですが、それでもやはり旧姓の●〇から母方の姓△▼になったことで割り切れずにいたようです。

鬱っぽくなってしまったとも言っていましたね。

 

父が死んでから母に聞いたのですが、私がまだ小学校低学年だった頃に父と母は一旦離婚して父の姓で婚姻届けを出し直そうか相談したそうです。

今では一般的になっているペーパー離婚ですね。

父が鬱っぽくなってしまうほどだったので二人で考えたんでしょうね。

母はこう言っていました。

「あの公園のあのブランコ、隣り合って座って話し合ったんだよ」

わかります。

私はあの公園のあのブランコでよく遊んでいたのです。

 

結局、両親はペーパー離婚することなく父が病死するまで添い遂げました。

私が小学校低学年の時代ではペーパー離婚は容易でなかったからだと母は言っていましたね。

 

父は結婚して母方の姓になったことで苦労があったことでしょう。

今でも結婚で女性の方の姓を選べば「婿養子」だの頓珍漢なことを言われます。

昭和30年代なら父の苦労はどれほどのものだったか想像するのは難しいことではありません。

 

父はいろいろな苦労をして不寛容が最もあってはならないことだと痛感したしたのでしょう。

私には広い視野を持ち、寛容で他者を尊重するようにという願いを込めた名前をつけてくれています。

私は父の願いを守っていきます。

 

結婚しても自分の名前のまま。

こんなこともできないようでは日本は必ず沈みますね。

父のような思いをする人がいなくならなければ日本に明日はありません。

 

 

自己肯定感の塊

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私は自己肯定感がかなり高いです。

幼い頃からずっとそうです。

しかし自己肯定感が高まる育ち方は全くしてきませんでした。

 

主に母の言動が私を不快にしていました。

父はそうでもなかったのですが、とはいえ昔の人間なので男だからという理由で父は育児に関わっていなかっただけのことです。

 

母の言動の中で最も不快だったのはこういうものです。

「大人になったら”嫁ぎ先”に気に入られなさい。家事が完璧にできるよう、とまとを躾けたから”どこに嫁に出しても恥ずかしくない”」

 

何ですか、これは?

私はまだ小学校四年生くらいでしたが、かなり違和感があり不快でした。

 

私は結婚はしても家政婦にはなりませんから、家事ができることをドヤ顔で讃えるのはおかしいですね。

完璧に躾けたとは傲慢ですね。

私は母の型にはまるだけの存在ではありません。

結婚とは結婚する相手と対等な関係で自分自身の幸せを追求することです。

私は小学校四年生くらいの時点でそう考えていましたから、母の言っていることはおかしいと思いましたし今でもそうです。

 

そもそも「嫁に出す」「嫁ぎ先に気に入られる」というのがおかしいですね。

私という人間のオリジナリティを否定するものです。

ただ単に卑屈になり、気に入られるよう努めるだけならそれは私でなくてもいいですよね。

他の誰でもよく、既存の枠に収まりさえすればいいですよね。

私という独立した個人を否定することです。

 

これは承知できませんね。

これ以外にも母は私を否定し、不快にさせることしか言っていません。

 

普通、幼い頃からこういう扱いを受けると卑屈な人間性になりそうなものですが。私はそうではありません。

これこそが私のオリジナリティです。

卑屈になれと求められれば、絶対に撥ね退けます。

 

母の不快な言動、私を狭い枠に押し込めようとする考え方、接し方が寧ろ私の自己肯定感を高め、堅牢なものにしてきたのです。

私は何事についてもそうです。

 

逆境に強く、マイナスをプラスに変えることに長けています。

母のような言われたことしかできず、それを信じ込むしか能のない人間とは全く違います。

母、救いようのない馬鹿なんですよね。

 

幼い頃からそうでしたし、母は全く反省していないので90歳近くなっても今は放置、シカトしています。

介護をする気は全くないですね。

母が謝罪すれば話は別ですが。

 

私の自己肯定感の高さは母のおかげですよ。

ありがとうございます。

最大の皮肉ですね。

 

 

 

祝!1000回

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自分では前からわかっていましたが、この回で「とまとの呟き」は1000回めを迎えました!

ヒュ~~!パチパチパチ!

よく続きましたね、ビックリです。

 

2021年の1月にスタートしていますね。

自分で確認するまでよくわかっていませんでした。

1000記事書いてきましたが、同じ内容はかぶっていませんね。

似たような内容はありますが、同じことは書いていません。

よくやれますね。

でも、これが私なのです。

 

文章を書くことは私の一番の自己表現です。

絵を描くのが得意な人、音楽が得意な人、スポーツが得意な人。

皆、自分の得意なことがあります。

私は文章を書くことですね。

おしゃべりなので話すことも好きです。

そういう特性があるので外国語を覚えるのが得意です。

英語に関しては一人で海外に行っても困らない程度ですね。

 

私には発達障害自閉症スペクトラム障害がありますが、その検査をした時にも言語系の能力だけが飛び抜けて高い傾向があると結果が出ていました。

他はポンコツです。

得意なことは飛び抜けていても、他はポンコツです。

定期的に通っているメンタルの病院の主治医が言うには、私は凸凹なのです

凸凹が極端なことで、一般的な生活で不自由があり立派な障害者認定を受けています。

 

しかし、そのことはあまり気にしていません。

得意なことを伸ばすことしか考えていませんね。

 

こうして文章を書くことはこれからも続いていきます。

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文章を書くことは私の生き甲斐ですね。

こうしてパソコンに入力して作り出すことが主流となりましたが、何もなくても紙があって手に鉛筆を握れば、いつでもどこでも文章は書けます。

音楽を作ったり、スポーツをしたりすることよりも、融通が利きますね。

 

私はいつまでもおしゃべりとまとです。

 

嵐の一週間から戻ってきました

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前回の記事から1週間空いてしまいました。

今までも2、3日空くことはありましたが、1週間空くのは初めてですね。

とにかく忙しかったのです。

 

11月25日の月曜日はまず、朝イチで耳鼻科の病院に行っていました。

鼻水が溜まって常に鼻をすすらないと気持ちが悪い感じが続いていたので、病院に行きました。

薬が処方されたのでまだ飲んでいます。

 

病院の後、夕方になって日が落ちたら札幌の冬の名物「ホワイトイルミネーション」を見たり、写真を撮ったりするために大通公園に出かけていました。

たくさん写真を撮りましたが、オススメは下の写真ですね。

花の形をしていて、色が変化するイルミネーションです。

 

火曜日は何をしていたかというと、サ活ですね。

これははずせません。

美容と健康のためにはサ活です。

新陳代謝が良くなるので風邪を引かなくなりますし、太りにくくもなります。

汗をたくさんかいてリフレッシュですね。

 

水曜日は病院に行っていました。

子宮頸がんの経過観察がまだ続いていて、今は半年に一度の検査を受けています。

ここが、1週間の緊張のピークでしたね。

経過観察が続いているということは、まだ完治はしていません。

手術してもう10年以上経っていますが、私はまだ経過観察中です。

3週間前に受けた検査の結果を聞きに行っていたのです。

 

それでも、3年ほど前から経過は良好です。

その前は異形成というがんの一歩手前の状態がずっと続き、一時は抗がん剤放射線かのような治療しようかという話も出たことがありました。

その後、細胞の検査は良性に転じて続いています。

3ヶ月に一度の検査が半年に一度になったことも大きな前進ですね。

 

水曜日に聞いた検査結果は良性でした。

ホッと一安心ですね。

これで何の心配もなく年末年始を迎えることができます。

 

しかしトラブルが発生しました。

病頼から帰ってちょっとしたお祝いをしようと思い、宅配のピザを頼んだのですがカード決済ができなかったのです。

別の支払い方法に切り替えて注文できましたが、なぜカード決済できなかったのか?

もう夕方を過ぎていたので、次の日の木曜日にカード会社に問い合わせてみました。

 

使いたかったカードはデビットカードです。

私が応援している北海道日本ハムファイターズのアプリと連携する銀行口座と紐づき、デビットカードを利用した金額に応じてアプリのマイルが貯まります。

そのマイルはエスコンフィールドでも使えますし、貯まったマイルが多ければファンクラブの階級がアップするのです。

 

ですから必死ですね。

使うからにはお得な方が絶対いいです。

そこで問い合わせてみました。

 

結論は原因不明でした。

デジタルなものって意外と原始的で、原因不明なことってありますよね。

この対応をしていて午前中が潰れ、昼を過ぎてしまいました。

 

木曜日は午後から習っている英語のレッスンの日です。

それは休みたくないので、いつもより遅い時間になりましたが参加しました。

いろいろ忙しい時や問題を抱えている時ほど、勉強したくなりますね。

考えを切り替えて気分転換したいんですよね。

 

そして金曜日はサ活です。

サ活は原則、火曜日と金曜日に行くことにしています。

 

土曜日はエスコンフィールドでファイターズのファンの集いでした。

もちろんビールも飲みましたよ。

ファンの集いは渋滞に巻き込まれた選手の到着が遅れ、11時半に始まりました。

それから17時くらいまでいろいろなゲームや、選手が女装してファイターズガールになりきりで踊るダンスがあったり楽しめました。

怒涛のような1週間の〆に相応しかったですね。

 

怒涛のような1週間でしたが、私の日常はいつもこんな感じです。

忙しい中で続けていることはもう一つあって、それは英語でニュースを見る勉強です。

毎日19時からNHKのニュースを英語で見て勉強しています。

今週も取り組みましたが、一昨日はサ活から帰るのが遅くなり、昨日はファイターズのファンの集いから帰ってきたらニュースはもう終わっていました。

今日からまた復帰ですね。

 

今はとても充実していて楽しいです。

がんの経過観察中と書きましたが、これだけ忙しくて充実していると感じられるのならまだ死なないような気がします。

今年も残り少なくなりましたが、この勢いで駆け抜けて新年を迎えようと思います。

 

 

サ活の道

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イラストはイメージです。

 

今、一番ハマっていることはサ活です。

サウナに入る活動ですね。

 

以前は昭和の雰囲気が残る銭湯に行き、お湯と水風呂を交互に入る交互浴にハマっていたのですが今はサ活です。

 

昭和の銭湯にもサウナはありますが、狭くてテレビなどもなく長時間利用するなら物足りないですね。

そこで最近はスーパー銭湯のようなところに行っています。

料金が昭和の銭湯と同じところがお得ですね。

一般的な銭湯の料金で存分にサウナを楽しめます。

テレビがついているので、修行のようなサウナルームの熱さも楽しめます。

 

私は元来お風呂好きです。

大学生の頃からそんな感じですね。

講義が早く終わった日は健康ランドに寄って家に帰ったりもしていました。

大学を卒業して働くようになると、仕事が終わってから遅くまで営業しているサウナに行っていましたね。

 

しかしお風呂が好き過ぎてマイナスの行動をしていた時期もありました。

私は中学一年生の時に摂食障害にかかり、40歳くらいまで良くなったり悪くなったりを繰り返していました。

お風呂にたくさん入ると汗をかき、体重が減ります。

摂食障害になると体重に対するこだわりが異常に強くなります。

一時期、汗をかいて体重を減らすためにサウナに通い詰めていた時期がありました。

 

その当時の体重が35kgだったのですが、その後すぐくらいのタイミングで子宮頸がんにかかりました。

お風呂、サウナに入り過ぎで体力が落ち、免疫力も下がってしまったんですね。

私はそれが子宮頸がんになった理由だと考えています。

お風呂やサウナは適度に入れば心身ともにリフレッシュできますが、過ぎたるは及ばざるがごとしですね。

 

それは、もう懲り懲りです。

今は摂食障害からも回復し、サウナを楽しめるようになりました。

何事も楽しめないならやらない方がいいです。

 

今はサ活を十分に楽しめています。

一番欲しいものはサウナハットですね。

行きつけのスーパー銭湯にも売っているのですが1500円くらいしていました。

帽子にしては高いですね。

ハットがなくても髪をまとめるターバンを濡らして頭に巻き付けているので、それで十分な気もしています。

 

とにもかくにも健康第一で楽しまないといけませんね。

やり過ぎて体を壊すのは本末転倒です。

上述したように子宮頸がんになった経験を活かして、美容と健康を追求したいですね。

楽しく、健康にが一番です。

 

 

 

ALFEE紅白出場が決まりました

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写真はイメージです。

 

前回のゾンビの話から間が空いてしまいました。

貧乏暇なしです。

 

こんな感じでボケッとしていたら、今日は今年の紅白歌合戦の出場者が発表になったんですね。

私が敬愛するTHE ALFEEの出場が決まりました!!

2回目の出場ですね。

今年がデビュー50周年なので、おそらくそれが評価されたのだと思います。

 

ALFEE最初の紅白出場は昭和58年、1983年、メリーアンがヒットした年のことです。

41年も経ってるんですね。

私もまだ10代の学生で実家にいました。

あれから大学を卒業して社会人になり、結婚したり、父が病死したり、離婚したり、自分が実は障害者だとわかったり。

本当にいろいろなことがありました。

あり過ぎですね。

 

41年経ってますからそうですよね。

ALFEE初出場の時はとにかく嬉しくて、41年後のことは考えていませんでした。

今のところ、ALFEEも私もまだまだ現役です。

 

ところで気になるのは何を歌うかです。

X(Twitter)では早くも盛り上がっていますね。

さて、何を歌うんでしょう?

 

私はメリーアンじゃないかと思います。

41年の時を経て同じ歌を歌うのは感慨深いです。

それに紅白はいろんな人が見ていて、必ずしもALFEEファンが見ているとは限りません。

他の歌番組でも歌っている歌を歌う可能性の方が高いですね。

ファン以外の人に”ああ、あの歌の人たちか”と思ってもらうなら、メリーアンか星空のディスタンスですね。

 

紅白って何度も出ている人は定番を歌う人もいますよね。

石川さゆりさんが歌う”天城越え”とかそうですよね。

 

ファンの目線では早くもあの歌がいい、この歌がいいとX(Twitter)では盛り上がっていますが、それはライブでも聞けますよね。

世間の人はALFEEならメリーアンですね。

 

ただ、12月29日の大阪城ホールでのライブがあるので、生放送に出るのか、録画で出るのかどちらかになりそうですね。

私は生出演して欲しいです。

 

41年前の初出場の時と変わらない勇姿を見せて欲しいですね。

年末の楽しみが決まりました。

紅白は毎年見ていますが、今年は更に盛り上がりそうです。