昔のテレビの話

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写真はイメージです。

 

今日はTHE MUSIC DAYという番組を見るためにテレビをつけっ放しにしています。

私が敬愛するTHE ALFEEが出演するので、出番の時間まで番組を見ることにしました。

ALFEEは19時ころに出るようです。

 

テレビ、最近あまり見ていません。

野球中継が地上波で放送される時や、英語の勉強のために副音声でニュースを見るくらいですね。

野球中継は配信サービスを利用すれば試合終了まで見られます。

ドラマやバラエティーはほとんど見ませんね。

野球中継がない日はAmazonプライムNetflixで映画を見ています。

今はいろんな選択肢が増えましたね。

 

私が幼い頃はテレビか映画くらいしか何か作品を見る機会はありませんでした。

父がよく映画館に行っていましたし、私と弟は「東映まんがまつり」などに連れていってもらっていました。

 

私はとてもテレビが好きな子供でした。

1980年頃までのウルトラマンシリーズと仮面ライダーは全部見ています。

1980年を過ぎると中学校に進んだりしたこともあり、一時的に見なくなっていましたが1990年代、大人になるとまた面白くなって見るようになりました。

小さいうちの私はテレビ小僧だったのです。

ウルトラマン仮面ライダー以外にも、アニメや特撮を見ていました。

ほとんどのアニメや特撮は見ています。

 

昔、私がテレビ小僧だった1960年代後半から1970年代にかけては、夜の7時台は子供番組の時間でしたよね。

アニメや特撮が放送されていました。

それを見て、保育園や学校では仮面ライダーごっこをして遊んだものです。

 

テレビが娯楽の中心だった頃、たまに学校でアンケートのような調査もありました。

一日、何時間くらいテレビを見るか?

ごはんを食べる時はテレビをつけたままか?消しているか?

 

テレビは子供の教育に良くないという風潮があったんですよね。

私が幼い頃の話なので、こういう感覚を持つ人は大正や明治時代の大人たちだったのでしょう。

今では笑われるような話ですね。

このようなアンケートが今でも行われるとしたら、ゲームやスマホが槍玉に挙げられるのでしょうね。

いつの時代も子供が夢中になるものに、大人は眉を顰めがちです。

 

あんなに好きだったテレビもあまり見なくなりました。

他にも選択肢があるからですね。

それに昔に比べてつまらなくなったような気がします。

自分の好きなものを好きな時に見たいですよね。

とはいえ、テレビ小僧だった頃は懐かしいです。

 

毎週毎週、見たい番組が始まる時間にはテレビに齧りつくようにして待っていたものです。

今日のイメージ写真のような足のついたテレビ、我が家にもありました。

テレビはこれからどう進化するのか?

それはそれで楽しみにしています。

 

 

夏休みは海の思い出

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もうすぐ夏休みの季節です。

夏休みといえば、幼い頃に遊びに行っていた母方の実家での思い出ですね。

 

母方の実家は北海道の昆布の名産地にありました。

私が幼い頃は祖父母、母の兄夫婦、三人の従兄弟が住んでいて賑やかでした。

今は祖父母も伯父夫婦も亡くなり、従兄弟たちはそれぞれ独立していてもう誰も住んでいません。

 

私が保育園に通っていた頃から小学校の低学年の頃まで、毎年、夏休みの時期は母方の実家がある漁師町に行っていました。

祖父母に孫の顔を見せるためだったのでしょうか。

父と母は昆布漁を手伝い、私と弟は従兄弟たちと浜で遊んでいました。

祖父は漁師で今日のイメージ写真のような小さな漁船に乗って昆布を獲っていました。

 

あれは何日間の出来事だったのでしょう?

昔の話なので父も母も今のように長い夏休みは取れなかったと思います。

もしかしたら、お盆休みがもらえる8月13~15日の間の出来事だったのかも知れません。

たった三日間。

子供だったので長く感じていたのでしょうか。

 

母方の実家があった小さな小さな漁師町。

2年ほど前にふらっと行ってみたのですが、何もない町でした。

昔ほど昆布も獲れなくなったらしく、静かな時間が流れていましたね。

 

そんな小さな町なので自然はいっぱいです。

母方の実家のすぐ近所に駄菓子屋さんがあって、私たちはお小遣いをもらってお菓子を買いに行っていたものです。

その駄菓子屋さんは廃業していましたが、建物自体はまだありましたね。

 

昆布漁が盛んだった頃は、その日の漁が予定通り行われる日は朝早く花火が上がってその音が合図でした。

大人は総出で昆布を獲り、子供は遊び回っていました。

 

お昼になると漁の網に引っ掛かってきた魚をみんなで食べたりしていましたが、幼い頃の私はとても神経質な子供で魚が食べられませんでした。

その代わりに町の商店で売っているメロンパンやクリームパンを食べていました。

コンビニではなく商店です。

そこが大事です。

パンも今ほど種類はなく、メロンパン、クリームパン、あんぱんですね。

ジャムパンでも憧れの対象でした。

 

漁が行われていた浜で遊び、駄菓子屋さんに行き、その他にも母方の実家のすぐそばには川があったのでそこでも遊び、虫を獲ったり、田舎を満喫ですね。

もうあの頃の風景は地方でも難しくなったのでしょうね。

 

2年ほど前に行ってみましたが、母方の実家があった町はとにかく静かでした。

若い人もあまりいないようでしたし、変わらないのは海と空だけでしたね。

でも、私はそういう田舎は好きですね。

海にも空にも思い出がいっぱい詰まっているのです。

一人暮らししていた父

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今日は死んだ父の話です。

父が死んだのはもう20年以上前の話で、ずいぶん時間が経ってしまいました。

 

時々思うことですが、父はまだ若かった頃、母と結婚する前どんな暮らしをしていたのでしょう?

父と母が結婚したのは昭和30年代の中頃です。

父が独身でいたのはその時までですから、昭和30年代の前半ごろ、父はどんな暮らしをしていたのでしょう?

 

私は昭和30年代に興味があります。

まだ私が生まれる前の話ですね。

その頃、若き父は毎日どうしていたのでしょう。

 

父の実家が函館で高校卒業後は札幌で働いていたので、その頃の父は一人暮らしだったと考えられます。

今日のイメージ写真のような部屋に住んでいたのでしょうか。

母は北海道のド田舎から札幌に出てきて、一人暮らししていたと話しています。

一人暮らしといっても、昔の玄関共用、トイレ共用、台所共用のアパートで友達と共用の台所で炊事をしていたと言っていましたね。

 

父は母とは真逆の性格で友達を作るのが苦手な人でした。

昭和30年代ですから銭湯には毎日通っていたに違いありません。

昔ってみんなが銭湯通いですから、それに間に合うように仕事も終わっていたでしょうね。

 

若き父は仕事を終えて銭湯に通っていたことでしょう。

ごはんはどうしていたのでしょう?

父は昔の人間で、男は家事などしないという考えの人でした。

自炊はせずに食堂にでも通っていたのでしょうか?

 

母は自分の若い頃の話をよくしてくれましたが、父からはあまり聞いたことがありません。

死ぬ前に聞いておけばよかったですね。

若き父の当時の暮らしぶりは、少ない情報と私の想像で思い描くしかありません。

 

父が死んだ後、形見分けをしたのですが私は父が愛読していた本を何冊か手元に置いています。

本の最後の方のページに、発行年月日が印刷されていますよね。

それを見ると、初版の日付だったりします。

昭和30年ごろ、父がまだ独身だった日付だったりします。

 

その頃の父はまだ私の父でもなく、結婚で改姓する前でした。

父は若い頃から本の虫でした。

ひー坊と呼ばれていた頃ですね。

 

私が想像する若き父の日常は、洋品店に勤めていて銭湯や食堂に通い、友達はほとんどおらず、読書に夢中の毎日です。

父も普通の若者だったんですよね。

タイムスリップでもできたら、覗き見してみたい気もします。

夏になると思い出すこと

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写真はイメージです。

 

今日から7月です。

夏がやって来ました。

札幌も暑い日が多くなってきました。

今年の夏も猛暑のようですね。

 

猛暑といえば、私と元夫が結婚した年も猛暑でした。

今から30年以上も前の昔の話です。

 

私と元夫は結婚してすぐに家を建てました。

春に契約して秋に完成した家で、夏はちょうど建てている最中でしたね。

私は結婚と同時に仕事を辞め、専業主婦になり毎日のようにスポーツクラブに通っていました。

スポーツクラブの帰りに家を建てている現場に寄り、大工さんたちに差し入れの冷たいものを買って行きましたね。

猛暑の中、家が完成に近づくのを見るのがとにかく楽しかったです。

猛暑になるといつもそのことを思い出します。

 

あの家ももう築30年を超えたんですね。

元夫は私と離婚した後で別の方と再婚したようです。

築30年を超えたなら家はもう中古ですね。

一戸建てって修繕が大変ですよね。

それは今の奥様がやっていると思います。

私にはできると思えません。

やはり私は家庭には向いていないのです。

 

とはいえ、30年以上前の猛暑のあの年は思い出がいっぱいです。

仕事を辞めて自由な時間ができるようになったので主婦業に専念したり、スポーツクラブに通い詰めてエアロビクスに夢中になったり、夏が来ると思い出すことばかりです。

 

家を建ててくれた大工さんの中に、当時16歳のとても若い大工さんがいました。

あれから30年以上が経ったので、その頃に少年だった大工さんももう50歳くらいなんですね。

見習いのような感じで働いていましたが、今は責任者をしていてもおかしくない年齢ですね。

そのくらい長い時間が経ちました。

 

太陽だけはその頃と変わりませんね。

ずっと私のことを照らしてくれています。

 

元夫と別れて今は一人の私。

仕事もしていない障害者ですし、私の老後は暗いのでしょうか?

いいえ、そんなことはありません。

なぜとか、どうしてとか、理屈じゃないんですよね。

自分の人生、未来は明るい。

もう思って日々を一生懸命に生きれば、道は自ずと開ける。

私はそう考えています。

 

太陽はどんな時も照らしてくれます。

夏の太陽はもっと強く照らしてくれます。

 

あの頃以上に私の中の太陽は熱く燃えています。

あの夏の思い出を胸にもっと熱くなれるよう懸命に生きるだけです。

銭湯上がればビールと散歩が夢

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イラストはイメージです。

 

私は銭湯に通っています。

月曜日と金曜日に行くことにしています。

同じところに行くのではなく、何軒かお気に入りのところがあってローテーションで通っています。

 

平日の日中に行くので、他のお客さんは高齢者が圧倒的に多いですね。

昭和の雰囲気が漂うレトロな銭湯ほどそうです。

スーパー銭湯のようなところに行くと私と同年代の人も多いですが、昭和の銭湯は日中は高齢者が多く私はまだまだ若手といったところですね。

 

今の高齢者だと、銭湯が日常だった世代ですね。

昔の家にはお風呂が付いていなかったのです。

みんな、銭湯通いでしたね。

私は小学校一年生の頃に引っ越した団地にお風呂が付いていました。

 

もうすぐ夏なので、今は銭湯でお風呂上りにビールを買って飲み散歩しながら帰るのが楽しみになってきました。

銭湯で売っているビールは値段が高めなので毎回そうするわけにはいきませんが、夕方から野球中継がない日は時間があるので、銭湯→ビール→散歩を決行したくてウズウズしますね。

これは叶えたい夢のようなものです。

 

これから夏ですからお風呂上がりのビールが美味しく、夕涼みも兼ねて散歩するのは風流ですね。

私は季節ごとに、その時でしかやれないことを楽しむことにしています。

この夏は、何度か銭湯上がりのビールと散歩を楽しみたいですね。

 

私は小学校一年生になるまで銭湯通いでした。

親と行っていましたが、銭湯名物のフルーツ牛乳を買ってもらったことはありません。

私が生まれ育った家庭はとにかく貧しくて、あまり物を買ってもらえませんでした。

それは銭湯に行っても同じことでした。

いつかお風呂上りにフルーツ牛乳を飲む。

いつもそう思っていました。

 

今はその夢を叶えられるようになったのです。

幼い頃に刷り込まれたことはなかなか消えません。

子供の頃に夢見ていたフルーツ牛乳はビールになりましたが、湯上りに喉を潤しゆっくり歩いて帰る。

最高の贅沢ですね。

 

幼い頃に恵まれなかったので、大人になって小さなことでも幸せを感じられるのです。

大人になればなるほど幸せに対する感度が上がっています。

ですから、私の人生は右肩上がりです。

銭湯通い一つ取っても、些細なことが楽しいです。

小さな幸せを大きな喜びに変えられる。

これは生きていくうえで強みになっています。

 

私には生来、困難な道を切り開く力が備わっています。

人生はもう後半戦ですが、まだまだ右肩上がりで行きます。

 

 

 

 

かっぱえびせんは永遠です

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私はおやつもよく食べます。

先日、上の写真のようにかっぱえびせんを食べました。

トレイはエスコンフィールドに行った時カツカレーを注文したことがあったのですが、その時に使ったものを持ち帰って家でおやつを乗せて利用しています。

家にいながらささやかな観戦気分が味わえます。

 

かっぱえびせんは定番中の定番ですね。

私が幼い頃からあります。

調べてみたら1964年に販売開始なんですね。

 

かっぱえびせん、薄めの塩味がクセになりますよね。

正に”やめられない、とまらない”なのです。

 

私が幼かった頃、1960年代の後半から1970年代にかけては、今のようにお菓子の種類は多くありませんでした。

ジュースもそうですね。

コーラやファンタはありましたが今のようなペットボトルはありませんでした。

そんな時代にかっぱえびせんは貴重でしたね。

 

今でも定番のお菓子ってありますよね。

かっぱえびせんはもちろんですが、カルビーのポテトチップスやロッテのチョコレート、グリコのポッキーなどが思い浮かびます。

それから、これも今もありますがハウスのプリンやゼリエース、シャービックですね。

特にシャービックは幼かった私の憧れでした。

どんなアイスクリームよりも美味しく感じましたね。

昔の子供ってお菓子の選択肢が少なかったことで、何でも美味しく感じていたような気がします。

 

昔から定番のお菓子って何が決め手なのでしょうか?

美味しくてシンプルで飽きない。

これが定番の条件でしょうか。

かっぱえびせんはあの絶妙な塩味が人を惹きつけるのでしょう。

 

今は多くの種類のお菓子が売られれていて、おやつに何を食べようか迷いますね。

私が幼い頃はお菓子の種類が今ほど多くなかったので、どれにしたらいいか迷うこともあります。

そういう時はやっぱり昔からの定番を選びます。

子供の頃に食べたおやつの味を求めているんですよね。

 

かっぱえびせんのような昔からの定番、なくならないで欲しいですね。

これは昭和の文化です。

細く長く続いていって欲しいですね。

 

セキュリティー、ジタバタ

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写真はイメージです。

 

スマホやパソコンのセキュリティーソフトのことで準備する時期が近づいてきました。

夏の間にそれぞれ使っているものの有効期限を迎えます。

自動更新もできるのですが、更新する機会に見直してみることにしました。

 

何と言っても価格が問題です。

1年更新、2年更新が多いのですが、それなりにまとまった金額が必要になります。

そこで、できれば月額で支払えばいいものがないか探し始めました。

年払いの方が割安なのはわかっているのですが、一気にまとまった支払いが難しいんですよね。

こつこつ月払いの方が私はいいです。

 

探してみて見つかりましたね。

今と同じようにスマホスマホのセキュリティーのアプリを入れ、パソコンはパソコンのセキュリティーソフトを入れる。

こうすることにました。

とにかく、できるだけ安くですね。

後は今使っているものの有効期限が近づいてきたら手続きを始めるだけです。

 

それにしても、一人で暮らすようになってデジタル的なことも一通りできるようになりました。

結婚していた頃は、元夫がIT系の技術者だったこともあり任せっきりにしていましたが、離婚して一人になってからは自分だけが頼りです。

習うより慣れろという部分が多いですね。

なんとかなります。

 

それに、最初はできなくても勉強したり調べたりして理解を深め、自分で作業できるようになるのが楽しいです。

私ももういい年なので、新しいことには意識的に取り組まなければなりません。

ぼやぼやしていたら取り残されてしまいます。

常に勉強してついて行かなければなりませんね。

 

そのためにはデジタル的なものは適しています。

勉強、理解、実行ですね。

これからもいろんなテクノロジーが出てくることでしょう。

その都度、勉強して自分もアップデートさせたいですね。

 

大事なのはアップデートです。

デジタル的なものを離れても、アップデートが必要なことはたくさんありますよね。

世の中のアップデートについて行けるおばあちゃんを目指します。