本編の前にご案内です。
このブログの姉妹版で小説を書いています。
タイトルは「ブラックマーラの嘘」といいます。
今日は第六話めまでを公開しています。
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tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
昨日、銭湯に行き小学生の頃に住んでいた辺りを通りました。
そうしたら、また思い出しました。
大学生の頃に父の仕事現場の近くを通りかかり、信号を待っていると現場に入って行く父とバッタリ会ったことがあったなあと。
昨日行った銭湯、小学生の頃に住んでいた地域は北海道大学の比較的近くです。
もっと遡ると、父と母が結婚してから私が生まれて3歳くらいになるまで住んでいた家も、北海道大学の近くなんですよね。
札幌の東区というところです。
私は北海道大学の卒業生なので、自分が生まれた家があったところが母校の近くということに何かの縁を感じます。
昨日、その思い出の地域を訪れて、もう一つの思い出も頭に浮かんできましたね。
今から30年以上前のことですが、札幌の北口地域で再開発が盛んに行われていた頃のことです。
私は当時、大学生で大学に行こうと札幌駅の北口を出て横断歩道で信号が変わるのを待っていました。
信号を待って立っていると、父が車に乗り再開発の現場に入って行こうとしているところにバッタリ会ったのです。
父は肉体労働をしていて、建設や工事の現場で働いていました。
札幌駅の北口の再開発の仕事もしていたんですね。
私はそこまでは知りませんでしたから、横断歩道の辺りで父にバッタリ会って、再開発の現場で働いていることを知りました。
あれから時は流れましたね。
札幌駅周辺は再開発が進み、すっかり景色が変わりました。
父のような仕事をする人々の働きによって、札幌駅は生まれ変わったんですよね。
その横断歩道は今でもあります。
たまに通ることもありますね。
信号を待つことがあると、大学生の頃に現場に入って行く父を見かけたことが思い出されます。
こういう小さな一つ一つの積み重ねで街の風景は変わっていくんですね。
その後、元気にあちらこちらの現場で働いていた父は病死しました。
肉体労働者で体力が勝負の人でしたが、人間は必ず病み、年老いて死ぬ存在です。
父の死因は病死であること以上に、自身の健康を過信してしまったことでしょう。
大学生の頃、仕事現場前でバッタリ会った父。
その頃は元気に働いていましたが、その姿はもうどこにもありません。
思い出の横断歩道を通るたびに、あの日の父の姿を思い出します。
まるで昨日のことのようですね。
昨日、銭湯の行き帰り、そんなことを考えていました。
銭湯自体はお風呂場がなぜか寒く、シャワーの水圧が低く、私が集めているスタンプカードもなかったので、また行くかは微妙ですが、北海道大学に近い地域には私のルーツがあるんですよね。