敬老の日、何のため?

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写真はイメージです。

 

今日は敬老の日です。

ところで、敬老の日とは何をする日なのでしょう。

文字通り、長寿を祝い、人生の先輩に感謝する日とでも言いましょうか。

 

長寿を祝う。

さて、最近は手放しで喜んでいいことなのでしょうか?

生まれてくる子供が減り、若い人が減り、高齢者が増える。

年金制度や医療や福祉や、問題山積ですよね。

日本はもう高齢であることを素直に喜べない国になってしまいました。

敬老の日とは言っても、何を敬うのでしょうか。

 

高齢者が多くなって年金や介護などの問題がありますし、高齢者の交通事故も多いですよね。

アクセルとブレーキを踏み間違えて建物に突っ込むとかです。

そうなると運転はやめていただきたいのですが。

昔はこういう高齢者っていませんでしたよね。

建物に高齢者が運転する車が突っ込むなど聞いたこともありませんでした。

 

他にもキレる高齢者の話もありますね。

私はX(Twitter)で活動していますが、そこでも話題になっています。

老化で大脳の前頭葉が委縮し、感情を抑えられなくなるからだそうです。

 

このような状態になって生きていてもいいのでしょうか?

私は嫌ですね。

 

認知症の問題もありますよね。

認知症になって、自分が自分でなくなって、家族のこともわからなくなって、それは人間らしく生きていると言えるのでしょうか?

 

このように、昔の日本、長寿に憧れた時代の願いは必ずしも明るい未来には繋がっていません。

昔は平均寿命が60代だった時代もあったんですよね。

長寿に憧れた結果、介護の問題、年金の問題、認知症の問題、交通事故の問題、とにかく問題だらけになってしまいました。

敬老の日と言っても、何を敬えばよいのでしょう?

 

私はどうすればいいか、じっと考えます。

健康を維持できるよう努め、頭脳がボケてしまわないように努め、年を取ることに対する意識をしっかり持たなければなりませんね。

 

私の母は90歳近いのですが、意識が低いです。

流されるまま馬齢を重ねているんですよね。

これでは、若者は堪ったものではありません。

 

誰もが長生きしたいと願った結果は必ずしも良いものにはなっていません。

年を取るのは平等ですが、敬ってもらえるような年寄りになるのとは別の話ですね。

敬老の日に相応しい年寄りになれるよう努めることが必要です。