一人暮らししていた父

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写真はイメージです。

 

今日は死んだ父の話です。

父が死んだのはもう20年以上前の話で、ずいぶん時間が経ってしまいました。

 

時々思うことですが、父はまだ若かった頃、母と結婚する前どんな暮らしをしていたのでしょう?

父と母が結婚したのは昭和30年代の中頃です。

父が独身でいたのはその時までですから、昭和30年代の前半ごろ、父はどんな暮らしをしていたのでしょう?

 

私は昭和30年代に興味があります。

まだ私が生まれる前の話ですね。

その頃、若き父は毎日どうしていたのでしょう。

 

父の実家が函館で高校卒業後は札幌で働いていたので、その頃の父は一人暮らしだったと考えられます。

今日のイメージ写真のような部屋に住んでいたのでしょうか。

母は北海道のド田舎から札幌に出てきて、一人暮らししていたと話しています。

一人暮らしといっても、昔の玄関共用、トイレ共用、台所共用のアパートで友達と共用の台所で炊事をしていたと言っていましたね。

 

父は母とは真逆の性格で友達を作るのが苦手な人でした。

昭和30年代ですから銭湯には毎日通っていたに違いありません。

昔ってみんなが銭湯通いですから、それに間に合うように仕事も終わっていたでしょうね。

 

若き父は仕事を終えて銭湯に通っていたことでしょう。

ごはんはどうしていたのでしょう?

父は昔の人間で、男は家事などしないという考えの人でした。

自炊はせずに食堂にでも通っていたのでしょうか?

 

母は自分の若い頃の話をよくしてくれましたが、父からはあまり聞いたことがありません。

死ぬ前に聞いておけばよかったですね。

若き父の当時の暮らしぶりは、少ない情報と私の想像で思い描くしかありません。

 

父が死んだ後、形見分けをしたのですが私は父が愛読していた本を何冊か手元に置いています。

本の最後の方のページに、発行年月日が印刷されていますよね。

それを見ると、初版の日付だったりします。

昭和30年ごろ、父がまだ独身だった日付だったりします。

 

その頃の父はまだ私の父でもなく、結婚で改姓する前でした。

父は若い頃から本の虫でした。

ひー坊と呼ばれていた頃ですね。

 

私が想像する若き父の日常は、洋品店に勤めていて銭湯や食堂に通い、友達はほとんどおらず、読書に夢中の毎日です。

父も普通の若者だったんですよね。

タイムスリップでもできたら、覗き見してみたい気もします。