独創と標準

私が今一番に夢中になっていることは、文章を書くことです。

ブログを2本書いていて、こちらの「とまとの呟き」と

「小説・スカイゾーン」というものを書いています。

 

どちらかと言うと、こちらの「とまとの呟き」の方が好評を頂いているようです。

でも、「とまとの呟き」はサブのブログなんですよね。

 

サブの方が好評を頂くというのは、嬉しくもあり、複雑でもありといった気持ちです。

「とまとの呟き」は、その名の通り私の呟き、本音ですね。

本音ですから、書くのが楽です。

 

サブのブログ「とまとの呟き」に対して、メインのブログ「小説・スカイゾーン」はタイトル通り、小説です。

 

小説を書くのは難しい。

話のテーマを決め、コンセプトをしっかり練り上げ、読み物としての面白さも追求しなくてはならない。

 

でも、難しいからこそ遣り甲斐があり、出来ないことが出来るようになりたいという向上心をくすぐられます。

 

そして、小説・物語を書く上で大切なことは独創性です。

誰もが容易に思いつくものは、面白くも何ともない。

読み手をアッと驚かせるのが、架空の物語の醍醐味と言えます。

 

しかし、一方であまりにも独創的すぎると、読み手がついて来れなくなる。

誰もが理解できるような標準的な部分もなければ、支持を得られません。

 

私は今、正に、この独創性と標準的な枠の間で試行錯誤の連続です。

 

これまでもお話ししてきたように、私には精神疾患の治療歴があり入院治療中に、主治医から特異なパーソナリティーの持ち主であると”認定”されています。

それ以外にも、自閉症スペクトラム障害があります。

 

自閉症スペクトラム障害は一種の脳機能障害で、標準的な思考や行動が難しい人もいます。

私もそうです。

 

昨日もお話しした通り、多くの人にとって面白いものの面白さが本当にわからない。

 

このような自閉症スペクトラム障害の特性に加えて、私のパーソナリティーはかなり特異であると、大学病院の立派な先生に”お墨付き”を頂いてしまっています。

 

よって、標準的なことが表現できない。

それが小説を書く上でも現れているのだと思います。

 

読者からの反応を捉える時に、どうも私の描く世界は理解されにくい。

そう感じています。

 

独創性と標準的な視点は、両輪として小説を作り上げていくために必要なことですが、私には独創性という片方しかない。

 

独創性という片面しかないことは、創作をする上で克服していきたいのですが、なかなか難しいですね。

 

せっかく小説を書くのですから、より多くの方に受け入れられ理解して頂きたいのですが、私はどうも独創性だけが突っ走ってしまっている。

 

特に作家になりたい訳ではないのですが、言葉を使って何かを表現することから離れられません。

 

どうしたら多くの方に理解して頂けるか、毎日毎日、考えています。

 

そこでこう考えました。

 

独創こそが私の標準。

 

何事も突き抜けて、中途半端に終わらせないことが大切なのだと。

 

多くの一般的な方の発想は、独創と標準の間の、白と黒の間、グレーゾーンで処理されていることが多いのではないかと思われますが、私には白か黒かしかない。

中間的な発想が苦手な方は、自閉症スペクトラム障害がある方に多いようですが、私も例外ではなくそうです。

 

しかし、自閉症スペクトラム障害に限らず、人間はどこかに先天的な障害があると、それを補おうとして残った機能が発達することも少なくない。

 

では、白ならこの上ない真っ白。

黒なら闇より深い黒。

 

中間的な考えが苦手なら、無理して中間に寄せなくてもいいのです。

精神疾患で入院治療を受けていた頃の主治医の言葉を借りれば、私には白か黒かしかない。

でも、それ以外に変わることもできません。

 

白か黒かしかないことは私の独創性であり、独創性に満ちていることは私にとっては標準です。

 

独創と標準は、一見、相反するもののようですが、私の中では一体化して存在しています。

一般的な発想は寧ろ、独創と標準を相反するものとして切り離して捉える。

 

この世界の多くの事柄は、相反するものが一つになることで生まれます。

 

男と女、東と西、プラスとマイナス、等々、多くの事柄は相反するものが揃うことで成立しています。

 

独創と標準を合わせ持つことで、いい作品が書けるようになりたいですね。

 

独創性の問題とは別に、学問が得意な私の文章は固い。

学問以外はポンコツで他に取り柄がないので、どうしても書く文章が固い。

これは悩みの種です。

 

物語というより、レポートか論説のようになっている。

もう少し、柔らかい文章が書けるようになりたい。

 

これらの点を克服しようと努めること自体が、また楽しみでもあります。

 

楽しんでもらえるようなものが書けるように、今日も悪戦苦闘です。

この世界が相反するもの同士から成り立つように、独創を標準としつつ人を楽しませることを目指し、邁進したいものです。