自閉症スペクトラム障害を持つ者にとって、ネットって薄味ですよね

 昨日は、信仰するTHE ALFEEについて書いたところ、多くの方に見て頂きました。

アル中の同志の皆様、誠にありがとうございました。

今日は違う話をします。

 

敢えて違う話をします。

昨日のようにTHE ALFEEという耳目を集めやすいテーマを取り上げると、多くの方に見て頂けますが、かと言って見て頂くために、耳目を集めるテーマを続けて取り上げるのは、私の本意ではありません。

 

私はネット上ではブログ以外は、主にTwitterで活動していますが、様々なアカウントがあります。

 

制限字数めいっぱいまで、ご自分の思想信条を語るアカウントの方が、私は好感が持てますし共感もします。

単語の羅列的表現に終始し、誰でも思いつくようなライトなものはつまらないです。

 

もっともっと深掘りし、その羅列した事実から何を思うか、それを語って頂きたい。

私はそう考えています。

 

Twitterは「呟く」ものですから、単語の羅列的に短い表現をするのは間違いではないのでしょうが、私には物足りない。

で、それで?

それの何が面白いの?

そう思わずにはいられません。

 

以前もお話ししましたが、私には自閉症スペクトラム障害という障害があります。

一種の脳機能障害であり、多数派の一般的な人とそもそも見えている世界が違います。

これは、私が自閉症スペクトラム障害のサポートを受けるために通っている、専門の病院の主治医も言及していることです。

 

こういう私だから、他の方が面白いと思うものが、はっきり言うとちっとも面白くないということになるのでしょう。

しかし、人と着眼点が違うことは望ましいことであると言えます。

 

人に見えないものが見え、その問題点を捉える洞察力に長ける。

 

自閉症スペクトラム障害が、どんな風に障害として現れるかは人それぞれのようですが、多くの方は世間の多数派、一般的な方との隔たりに苦労しているのではないでしょうか。

 

一般的な視点と隔たりが大きいと、何が面白いのか理解に苦しむ。

ネット用語の短縮形の表現に違和感を感じる。

そういうことはないでしょうか?

 

私はかなりありますね。

特に、何の意味なのかわからない、アルファベットを用いた短縮形。

 

正式名称の意味上の区切れの頭文字を、アルファベット化して表す表現は苦手です。

日本語の美しさが英語的な効率の良い表現に置き換えられているようで、何かを失ったような感覚にもなります。

 

以前は、個人が発信源になる機会は限られていましたが、ネットの普及で、世間の標準的な多数派の意見が広まるようになりました。

 

多数派の一般的な視点との隔たりが大きい、自閉症スペクトラム障害がある者にとっては、ネットに溢れる情報の何が面白いのかがわからず、薄味だと感じることは多いです。

 

ネット用語的な軽さが、薄さの原因になっているのだと思います。

加えて、Twitterなどにおける単語の羅列的表現の軽さも、軽いがゆえに薄く感じます。

 

多数派の一般的な情報は、なんだか薄味。

何が面白いのかもわからない情報は、薄味です。

 

味がわからず、旨みもわからない。

 

自閉症スペクトラム障害があると、一般的な視点が理解できない。

よって、ネットの普及で広まる、一般的な面白さはつまらないものでしかない。

 

 自閉症スペクトラム障害を持つ者にとって、ネットって薄味ですよね