変わらない日常は必ず過去になる

今日は、2年以上続けていたヨガを退会してきました。

しばらくは復帰する予定もありません。

今後は障害者枠で仕事を探しますから、生活するうえで節約が必要になります。

 

そのヨガを始めた頃、私は普通の仕事をしていました。

仕事を終えると夜の部のレッスンに参加して、一時的に5kgくらい痩せたこともありました。

 

しかし、美味しいものが止められず、体重はすぐに元に戻りましたが。

 

今日退会したヨガ、始めた頃は普通の仕事をしていたと思うと不思議な気持ちです。

 

今年に入り、検査を受け自閉症スペクトラム障害と診断されたことで、私の人生の方向は大きく変わりました。

一般的な人とは認知のずれがあることで、普通の仕事をするのは困難がありました。

無理をして普通の仕事はしない方がよいと主治医からアドバイスされたこともあり、今は障害者枠で仕事を探しています。

 

普通の仕事をしながらヨガを習っていた日常は、今日ヨガを退会することで完全に過去のことになりました。

入会して痩せようと努めていた頃、普通の仕事に無理して就いていた頃は完全に過去のことになりました。

 

こうして、いつまでも続くと思っていた穏やかな日常は、必ず過去のことになります。

 

私はもう50代なので、若い頃と違い過去の情報の在庫が増えました。

その全てが、当時は変わらないはずだと思っていた過去の日常です。

 

離婚を経験している私ですが、結婚していた当時はその生活が変わらず続くものだと思っていたものです。

 

朝、仕事に向かう夫を送り出すと家事をこなし、夢中になっていたエアロビクスのレッスンに参加するため、スポーツクラブに出かけたり、飼っていた三匹の犬といつもの道を散歩したり、帰宅すると夫が帰ってくる前に夕食の支度に取り掛かったり。

 

でも、その全ては過去の風景になりました。

 

飼っていた犬たちは寿命が尽きて死に、私と夫は離婚し、離婚した私は家を出て一人暮らしを始めました。

元気だった犬たちの最後を看取り、しっかりお給料を持ってきてくれた夫と別れてお金の問題に直面し、あれから随分と時間が経ちました。

 

もっと遡ると、幼い頃、毎日のように遊んでいた友達は、皆、どこに行ってしまったのでしょう。

また明日ねの繰り返しは、いつかは過去になる日常の終わりに近づく合図のようなものです。

 

こうして、ありふれた日常は必ず過去になります。

時間は一方通行にしか流れません。

 

未来はいつかは現在になり、その現在は必ず過去になります。

現在から未来に到達した時点で、それまでの現在は過去になるんですよね。

 

ありふれた日常が過去になる。

人生はその繰り返しです。

 

いつまでもあると思うな、親と金、ではないですが、いつまでもあると思うな今この時。こうではないでしょうか。

 

日常、普通に生きていると、自分の人生に終わりがあることも実感できないことがあります。

このまま年を取らないのではないか、今、目の前にいる人と別れる日は来ないのではないか、そんな錯覚に陥ることがありますが、それは全て錯覚であり、思い込みにすぎません。

 

一昨日のテーマ、時間は貯めておくことができず、消費するしかないものであるという話ですが、時間は金銭と違い、全員に平等に割り振られています。

その一方通行の中で、未来は消費され過去が積み重なっていくものです。

 

今この時は必ず過去になり、戻ることはできない。

どんなに愛着がある日常でも、必ず終わりが来る。

 

若い頃は、ひたすら前を向いて突っ走ることしかできなかったので、このことに気付くことができませんでした。

金銭と同じですが、時間にも限りがあるんですよね。

 

こんなことを書くと、自分はもうすぐ死ぬのかとも思ってしまいますが、そうではないでしょう。

 

これまで積み重ねられてきた過去の人生の時間を無駄遣いせず、未来の糧として投資したいと思います。

自閉症スペクトラム障害と診断されても、それは何かの未来からのサインだと考えています。

今この時が過去になる時、自分はどこにいて何をしているのか。

そう思うとワクワクして楽しみな気持ちになります。

 

どんな日常も、必ず戻れない過去になる。

そのぶん、現在は未来に到達して何かが実ることでしょう。