時は金なり、時間は貯められないけど

今日は私にしては珍しく早くに目が覚めました。

そこで普段なかなかできない作業をしていたら、結局アッという間に陽が沈み夜になり、このブログを書く時間になってしまいました。

 

お金と時間はアッという間になくなってしまいますよね。

まさに、時は金なりです。

 

お金はある程度貯めることができますし、経済的に余裕のある人なら投資をして増やすことができないこともないですね。

 

しかし、時間は増えることはなく、況してや自分の意思で増やすこともできません。

 

人間は生まれた時点で運命が決まっていて、いつ死ぬかも定められていると聞いたことがあります。

ですから、手持ちのお金ならぬ手持ちの時間は、一人一人決まった量を持たされて生まれてくるのでしょう。

 

この手持ちの時間は一人一人違っていて、全ての人間が自分の持っている量を毎日消費して生きているのです。

 

大金持ちの方が手持ちの時間が少なく、貧しい者の方が多くの時間を持つということもありそうです。

 

時間をお金のように貯めておければ良いのですが、それは不可能です。

銀行に貯金して、キャッシュカードを使ってATMで引き出すようにはいきませんよね。

 

これと似たような話を高校生の頃、同級生と話していたことがありました。

 

つまらない授業がある日の、快晴の天気をどこかに貯めておいて、逆に楽しく遊びに行く予定の日の雨の予報と入れ替える。

おてんとうさま貯金と、私たちは笑いながら言っていたものです。

快晴を両替して雨の日と引き替えるという発想で、遊びに行く日のために太陽を取っておこうという、高校生らしい想像力を働かせた話を同級生とよく話していました。

 

しかし、快晴の日と雨の日を自由に貯めておいたり、互いに引き替えることは不可能であり、時間も同じように貯めておいたり、後で使う時のために取り置きしておくことはできません。

 

時は金なりと、大切なものの代表として同列に語られても、時間を貯めておくことはできません。

 

それでも、時間を貯金ならぬ貯”時”できたらどんなに良いことでしょう。

 

暇な時間を寄せ集めておいて、猫の手も借りたいほど忙しい時に放出できれば、仕事の締め切り前に慌てることもなくなりそうです。

時間を貯めておける銀行ってないものでしょうか?

 

もしあれば、タイムマシンの理論並みの夢のある話だと私は考えてしまいます。

 

でも、貯”時”はできなくても、投資ならぬ投”時”ならできそうです。

 

暇な時に学んでおいて、将来に備えることなら日常的に行われているので、貯”時”はできなくても投”時”して、まさしく自分に投資をすることはできます。

 

私は今、自閉症スペクトラム障害が診断されてから、障害者枠で働ける場を探しています。

就労継続支援の職場を希望していて、福祉の窓口にも相談し情報を集めています。

 

まだ仕事をしている訳ではないので、比較的のんびりと毎日を過ごしていますが、それでも情報を集めたり、文章を書くことが好きなのでそれに耽ってみたり。

やるべきことは多いですが、暇といえば暇ですから、暇な時間を先々に投資、投”時”しているようなものです。

 

自分の好きなことを一心に行っていれば、自ずと道は開けるはずです。

文章を書くことが好きなら好きで、やり続ければいいと思っているので、比較的時間に余裕がある今、文章を書くことに専心しています。

 

もしかしたら、これが仕事に繋がるかも知れないではありませんか。

もしそうなれば、余裕がある時の時間が、将来の実りの時のために投資されたと考えられます。

 

そう思って、今のこの時を将来に投”時”しています。

 

精神の問題があると、なかなか外に行けないとか、仕事にすぐに就けないとか困難なことも少なくないですが、そういう時は貯める、貯”時”するのではなく投”時”しているつもりで、未来の自分に使っていくものですよね。

 

寧ろ健常者として動ける方が、立ち止まるタイミングがつかめず時間に追われ、消費してすり減っていくだけかも知れません。

 

精神の問題を抱える時期は、自分に投資するくらいの気持ちで過ごしていきたいものです。