THE ALFEE 夏のイベント Baby, Come Back! 中止を考える

急遽テーマを決めました。

今日は、THE ALFEEの夏のイベント Baby, Come Back! 中止について書こうと思います。

 

残念ながら、夏のイベントが中止になりました。

結論から言うと、私にとっては予想していたことです。

ですから、無理はするべきではありません。

THE ALFEEクラスの大物アーティストであれば、影響力が大きく責任が伴いますから、ここまでなら許されるなどと姑息で中途半端なことはするべきではありませんし、実際ALFEEは姑息ではなく中途半端でもありません。

 

例えばですよ。無観客ならいいとか、上限〇◆%ならいいとか、そういう言葉を免罪符にしてイベントを強行するべきではありません。

何やら大きな大きな運動会はそうらしいですよね。

無観客ならいい、上限〇◆%ならいい、そういう言葉を免罪符のように使って強行するのはカッコ悪いです。

私はそう思いますね。

 

Twitterのフォロワーさんも言っていましたが、ALFEEはスッパリ中止を決めましたね。

実に良心的です。

嘆いているアル中の同士も少なくないとは思いますが、この潔さ、真にファンを思いやる英断は、さすがALFEEです。

私は賞賛に値すると思います。

みっともなく固執して、集まるアル中を危険にさらすべきではありません。

イベントに参加予定で嘆いている方は多いと思いますが、ファンを思いやるALFEEの心意気に応えようではありませんか。

 

リアルなイベントは中止になりましたが、このライブの様子は収録して後日配信になります。

アル中全員でパソコン(スマホは見られるのでしょうか?おそらく見られますか?)の前に集結して、ALFEEにエールを送らなければなりません。

人の心というものは、離れていても通じ合うものです。

正に、Baby, Come Back!の星空のディスタンスの境地ですね。

 

ところで、何故こういうことになってしまったのでしょう?

それは感染の拡大が収まらないからですが、では何故、感染の拡大は収まらないのでしょうか?

 

政治の無策とよく言われます。

そうですね、政治が頼りないからこういうことになるのですが、では為政者だけが悪いのでしょうか?

それも違うと思います。

 

政治が悪いのはそれを許す者がいるからです。

感染が収束していないのに、無軌道に振る舞う者がいるからこういうことになるのです。

結局、どっちもどっちなのです。

 

有効な手立てを講じられない政治と無軌道に振る舞う者は、揃って戦犯だと言えるでしょう。

無軌道に振る舞う者の言い分はこうです。

政治的に中止とは言われていないから、このくらいなら良いだろう。

無軌道に振る舞う者は、終始そんな調子です。

 

それは違います。

偉い人に言われていないから、このくらいなら良いだろうという振る舞いは回り回って己の首を絞める愚行です。

政治を当てにしないのであれば、自らが自らを律することができなければなりません。

いい大人が、言われていないからやったもん勝ちのような無軌道な行動を取るべきではありません。

 

では何故、このような無軌道な者がいるのでしょう?

私は教育が良くないのだと考えています。

自らを律し、人に言われなくても節度を持った行動が取れる人間を育てていないのです。

 

教育はやはり政治の問題です。

アル中の皆様、選挙にはちゃんと行っていますか?

私は今50代ですが、20代で初めて選挙権を持ってから、一度も棄権したことはありません。

 

選挙には行きましょう。 

今まで政治は自分とは関係ないと思っていましたか?

違いますね。

もし、そう思っていたとしたら、この夏のALFEEのイベントはなぜ中止になったのか、よく考えてみて下さい。

 

今の日本は言論や表現の自由は保障されていますが、政治が良くなければそれが脅かされる日が来るかも知れません。

自由にALFEEの音楽を楽しむことと政治、社会情勢は繋がっています。

 

特に若いアル中さん。

選挙には行きましょう。

今回のことで、関係ないと思っていた政治や社会情勢とALFEEの音楽を享受できることは繋がっているのだと考えてみて下さい。

 

そして最後に、このブログで再三申し上げていますが、耐えるべき時に耐えない者に明日はありません。

野放図に欲望を垂れ流す者に明日はありません。

今はまだ辛抱の時だとファンを思いやり、大英断を下したTHE ALFEE喝采を送ろうではありませんか。