本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
新しい作品「六十年後の未来に来てみたけれど」を公開しています。
今は第五話の公開を始めました。
話の展開がわかりやすくなるように、主な登場人物の解説つきです。
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よろしくお願いします。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
~ここから本編~
上にもバナーを貼っていますが、このブログの姉妹版「とまと文学部」では小説を書いています。
今回は長編「六十年後の未来に来てみたけれど」という物語を書いていて、そこに登場する主人公・ヒデは私の父がモデルになっています。
そこで、父が生前、常日頃言っていたことを書こうと思います。
父の口癖は「家族とは何か」でした。
家族は尊い、いついかなる時も助け合い、仲睦まじくあるべきだ。
父の言わんとしていたことはこういうことでしたが、私にとってはクソ食らえですね。
私の家族は貧困家族でした。
私が幼い頃に父があるトラブルに巻き込まれ、正確に言うと首を突っ込んだために、我が緑大木一家は貧困に転落したのです。(緑大木は仮名です)
あるトラブル以来、貧困に転落した緑大木一家。
それからというもの、私も苦労の連続でした。
幼い頃から母もフルタイムで働き、姉の立場である私は、小学校一年生の時に保育園児だった弟を母に代わって保育園に迎えに行ったこともありました。
大学も北海道大学ではない大学に行きたい気持ちはあっても、経済的な理由で自宅を離れて通う大学は断念しましたし、とにかくお金のことで苦労させられてばかりでした。
この原因になったのは父です。
私たち一家を没落させた張本人であるにも関わらず、父の口癖は「家族とは何か(家族は尊い)」でしたから、人生とは皮肉の連続です。
はっきり言って”バカじゃねーの”ですね。
家族は尊いと言いながら、火中の栗を拾い、自分の家族に苦労をさせる。
家族を苦難にさらした張本人が、家族は尊い、助け合うべきだと念仏のように唱えていた。
実に馬鹿馬鹿しい話です。
ネット上でこんな意見を見つけました。
家族だからといって、それだけでうまくいくとは限らない。
無理して仲良しでいる必要はない。
仰る通りですよ。
我が緑大木一家のためにあるような言葉ではありませんか。
上記のように、家庭が貧困だったために私も苦労の連続でした。
小学生の頃から精神の問題があって、最初は離人症になりましたね。
貧困と不安定な精神。
加えて私には生まれながらの障害、自閉症スペクトラム障害があります。
これも父からの遺伝ですね。
娘として接していましたからわかります。
父は発達障害ですね。
自分の意見に執着し、家族が言うことには耳を貸さない。
職場でも自分の考えにこだわり過ぎる。
立派な発達障害でしょう。
これは私に遺伝しましたね。
貧困、障害、父には苦労させられっぱなしでした。
こんな父が「家族とは何か」と尤もらしいことを言っても、説得力がありません。
空中分解寸前でなんとか保たれていた緑大木一家を尊び、価値のあるものだなどと、父の思い込みと錯覚ですね。
このように家族には苦労させられていたので、私は結婚しても子供は持ちませんでした。
子供を持ち模範的な家族を作ることは、私にとっては魅力のないことだったのです。
元夫は十分に理解してくれました。
私は家族は欲しくなかったんですよね。
元夫とは家族ではなく、カップルでい続けたかったのです。
家族なんてクソ食らえですよ。
「家族とは何か」
疎ましいですね。
その原因を作っていた父が家族を価値のある尊いものだと信じていた。
人生はこのような皮肉の連続なんですよね。