本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
新しい作品「六十年後の未来に来てみたけれど」を公開しています。
今日から第四十二話めを公開しています。
連載形式ですが、途中からでも、一話ずつでも読めますよ。
話の展開がわかりやすくなるように、主な登場人物の解説つきです。
下のバナー「とまと文学部」の文字をクリックすると、小説のページに飛べますよ。
よろしくお願いします。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
~ここから本編~
今日は定期的に通院している精神科の病院に行ってきました。
主治医とはいろいろな話をしますが、今後どうやって活発に動いていけるようにするかを話し合ってきました。
さて、帰宅して早めの晩ごはんにしましたが、ニュースを見ていると殺伐としていますね。
中学生同士が殺人の被害者と加害者になってしまうとか。
なんと殺伐とした事件でしょうか。
どうしてこういうことになるのでしょう?
私は社会を覆う狭量さに原因があると考えています。
例えば、こういう生き方は良くて、ああいう生き方は認めないであるとか。
心に余裕がないんですよね。
多数派は認めるが少数派はどうでもよいですとか、お互いがお互いを認めず、狭くて固い枠に無理やり人間を押し込めようとするから心に余裕がなくなり、相手を思いやることができない人間ができあがってしまうのです。
互いが互いを認め合わなければ、思いやりを持って接することはできなくなりますよね。
その延長線上に相手を簡単に殺めてしまう心が生まれるのではないでしょうか。
狭い枠に無理に人間を押し込めたり、少数派を追いやったり、苛めそのものですね。
大人の社会がこんなことでは、子供の世界で苛めがなくなる訳がありません。
こういう苛め体質があるから、殺伐とした社会ができあがるのです。
もっと枠を広く、柔らかく、そして心には他者に対する寛容さを持たなければなりません。
狭量さは社会問題の原因となる諸悪の根源ですね。
寛容で余裕のある心があれば、もう少しまともな社会になると思うんですよね。
日本は平和で豊かな国であるはずなのに、どうしてこんなことになっているのでしょう。
しかし、この問題は実は大昔からあったのかも知れません。
死んだ父が同じことを言っていました。
心の広さ、懐の深さが何よりも尊いと。
私が幼い頃の話ですから、もう50年は前のことですね。
その頃から、この国の社会は狭量さに歪められてきたのでしょう。
50年以上が経っても、狭量な意地の悪さは変わらない。
嘆かわしいことですね。
豊かで食うに困らない社会で狭量さを改められないことは、衣食足りて礼節を知らずであると言えましょう。
豊かで食うに困らなければ、衣食が足りて礼節を弁えなければなりません。
衣食足りて礼節を知り、寛容な心で狭量さを封印しなければなりませんね。