遅れてきた反抗期

本編の前にお知らせです。

「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いていますが作業中に間違って表示を消してしまいました。

復旧次第、載せますのでそれまでお待ち下さい。

~ここから本編~

年末ですねえ。

昨日、30日に食べようと思ってお寿司のテイクアウトを予約しました。

こんな風に準備をするのが一番楽しい時なんですよね。

 

今年はクリスマスから年末年始にかけて、一緒に過ごしてきた母を完全無視しています。

母は相手の気持ちがわからない傲慢な人間なんですよね。

私が幼い頃からそうですが、自分が上、私は下。

親が上で子は下という、支配的な価値観の持ち主なのです。

 

なんだかおかしいと思いませんか?

人間と人間というものは、上下ではなく横の繋がり、水平な対等な関係だと思うんですよね。

母のような支配的で相手を見下すような考えは、やはり傲慢の一言に尽きると思います。

 

今までの私はそんな母に合わせてきました。

そうすれば、波風が立たず表面上は穏やかだからです。

 

しかし、それもおかしいですね。

一方がもう一方の顔色をうかがい、気を遣い、満足させるために自分を押し殺す。

どう考えてもおかしいです。

 

そこで、今年から私は自分に正直になることにしました。

母は完全無視ですね。

もちろん、これからもそうです。

介護なんかしませんよ。

 

こういう感情は10代の頃に抱き、いわゆる反抗期を迎えるものなのでしょうが、私は基本的にすごくいい奴です。

母の機嫌を損ねないように、揉めないように、良い子を演じてきました。

10代の頃に母に反発したことはありませんでした。

 

でも、全く報われませんでした。

私が気を遣っていることさえ、母は気付いておらず自己中心的な考え方を改めることはなかったのです。

 

反発と言えば、13歳の時に摂食障害になったことでしょうか。

食事を拒否して、体重は30kg台まで落ちましたね。

 

後に、その頃のことを母に聞いたことがあります。

母はこう言いました。

学校の成績が落ちなかったから、大丈夫だと思っていたと。

 

これも、おかしいですね。

逆に学校の成績が落ちないことの方が危ないと思いませんか?

体重、30kgとかですよ。

それでも、勉強ができればよいと考えているとは、相当おかしいですね。

 

摂食障害になり食事を拒否するということは、究極、死んでもいいということなんですよ。

娘に、死んでもいいなどと思わせるような母親。

娘がそこまでして悲鳴をあげているのに、勉強さえできればと慢心する母親。

 

もう、この人のために良い子でいるのは止めました。

そういう訳で、今年からは母のことは完全無視、やっと反発できるようになりました。

私はもう50代ですが、人間どこかで何かに反発しないと精神衛生上よくありません。

 

ですから、今年からはおひとり様の年末年始、楽しいですね。

表面上を取り繕って、良い子でいなくてもいいのです。

良い子はやめました。

良い子でも悪い子でもなく、私は私なんですよね。