本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いていますが作業中に間違って表示を消してしまいました。
復旧次第、載せますのでそれまでお待ち下さい。
~ここから本編~
大晦日です。
今日で2021年も終わりですね。
私も人並みに今年を振り返ってみました。
今年は自分の一年を漢字で表すと「動」ですね。
激動の一年でした。
まず、1月に自分の障害が正確に診断されたんですよね。
私の障害は自閉症スペクトラム障害です。
この障害があるために、私は普通の人が普通にできることができません。
得意なことは人の倍以上できても、苦手なことは半分もできません。
つまり、能力の偏りが激しく一般的な仕事をして生活していくことが困難である。
こう診断されました。
しかし落ち込んだりはしませんでしたね。
自分を正しく知ることは、物事を解決し前進するために必要なことです。
ですから、障害があることでそれに合わせた生き方を模索し始めました。
結論はまだ出ていません。
結論が出ていないということは、まだまだ進歩する余地があること、障害がわかったことはスタートラインに立ったということ。
そういう風に考えています。
私の障害がわかったことで、母と絶縁することになりました。
母は私の障害に理解がなく、理解してこなかったことを詫びることもなく、反省もしていません。
母は昔の人間ですから、自閉症スペクトラム障害、発達障害という観念に疎い。
それはわかりますが、だからといって何も思考しない、理解しようと努めない、それを反省もしない。
それは、ちょっと人間としてどうなのかと疑問ですね。
昔はそういう考え方はなかった。
これで済まされていい訳がありません。
知らないことを知ろうとし、私との接点を持てるよう努める。
母はもう80代後半ですが、こういうことは年齢に関係ないですよね。
反省し、理解に努めようとする人はするでしょうし、しない人間はしない。
残念ながら、母は後者の人間のようです。
納得できませんね。
私は幼い頃から親の言いつけを守り、よく勉強し、優秀な成績を修め、絵に描いたような良い子でした。
しかし、理解のない母を満足させるために私が良い子になり、理解されない苦しみを持って生き続けなければならないのでしょうか?
そうではありません。
私にも堪忍袋というものがあり、その緒は切れるのです。
堪忍袋の緒が切れた。
2021年はこれに尽きます。
ただ、2021年、ずっと怒っていた訳ではありません。
母と絶縁することで、おひとり様を満喫しています。
普段の生活でもそうですが、クリスマスから年末年始にかけて、気楽で身軽なおひとり様を満喫しています。
来年もこんな感じですね。
健康であれば何とでもなります。
欲を言えば、子宮頸がん後の経過観察から解放されたいですね。
手術を受けて10年近く経っていますが、未だに月単位での経過観察が必要です。
これから解放されたら、人生変わりますね。
とは言え、今年は自分の障害が正しく診断されたことで、寧ろスタートラインに立った気持ちでいっぱいです。
来年はこれを足掛かりにまた一歩、歩みを進めたいと考えています。