晩年の住宅事情

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タイトルは「ブラックマーラの嘘」といいます。

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tomatoma-tomato77.hatenablog

 

今日は住宅事情の話です。

タイトルには”晩年”とありますが、今の私は50代。

晩年にはまだ早いような気がします。

しかし、10年も20年もアッという間に過ぎてしまいます。

 

今は50代でも、生きていれば60、70代にはなります。

その時、私はどこで何をしているのでしょう?

 

今は賃貸に住んでいますが、おそらく一生住める訳ではないと思うのです。

今すぐに建て替えが必要ではないのでしょうが、だからこそ、建て替えなどで出て行かなければならなくなる頃には私は60代か70代ではないかと思います。

その時、住みたい部屋が見つかるでしょうか?

 

うーん、わかりませんね。

定期的に通っている精神科の主治医にも相談したのですが、主治医はいつも前向きな答えを与えてくれます。

私が70代になる頃は20年は先のこと。

その頃には時代が変わるのだと、そう主治医は答えてくれます。

そうだといいのですが。

 

とはいえ、私は住宅の運には恵まれていますね。

大学生の時、母と喧嘩してそのまま家を飛び出しました。

家出ですね。

 

家出して大学で一番仲が良かった友達のアパートに転がり込みました。

10日くらいいたでしょうか。

当時、先に就職して東京にいた元夫も心配して札幌に来てくれました。

 

忘れもしません。

元夫と母校の北海道大学の近くを歩いていた時のことです。

あるアパートの前を通りかかると、貸室の貼り紙があったんですよね。

詳しく話を聞こうと、そのアパートの大家さんの部屋を訪ねました。

 

当時で70歳くらいの方だったでしょうか。

優しくて話のわかる方でしたね。

即決でそのアパートに決めました。

大家さんと直接交渉なので、不動産業者を通すような手続きはありませんでした。

 

そのアパートが見つからなかったら、家出して住む部屋がみつからなかったら、私は大学を辞めて元夫と一緒に東京に行こうと思っていたんですよね。

運命の分かれ道でした。

 

とはいえ、人間はある目的を達成したら次を目指したくなる欲張りな存在です。

私は考えるようになりました。

こんなボロアパートに一生住み続けるのかと。

風呂無し、トイレ共同の六畳一間に住んでいたので、古いアパートが解体されたりしたら私はどこに行けばよいのか不安になったのです。

 

しかし、それも杞憂でしたね。

元夫のお母さんの知り合いが賃貸を経営していて、紹介されて引っ越すことができました。

 

その後も、東京から戻ってきた元夫と同棲したり、結婚することになって一戸建てを建てられることになったり、トントン拍子でした。

 

こんな風に悪運が強い私。

精神科の主治医が言う通りに、未来は明るいのかも知れません。

 

夢があるんですよね。

誰もがアッと驚くような人と再婚です。

当然、住宅の心配もいらなくなります。

 

追い込まれれば追い込まれるほど、逆転してきました。

人生、後半戦に入りましたが、勝負強さはますますパワーアップしていけたら良いですね。