あの子はどこへ行ったのか

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写真はイメージです。

 

今日も日課の散歩をしてきました。

今日は札幌の南郷通り沿いを歩きました。

地元、札幌の人ならわかりますが南郷通りは札幌市内の幹線道路です。

地下鉄の東西線沿いを走る道路ですね。

マンションが建ち、お店や会社も多いです。

 

南郷通りを西から東に歩いたのですが、家庭教師の仕事をしていた頃に教えた生徒さんのお宅があるマンションの前も通りましたね。

あの生徒さん、もう大人になったことでしょう。

今はどこで何をしているのでしょう。

 

その生徒さんは私が教えていた当時、まだ小学生でした。

障害があって、学校には通えていましたが一般的な子供よりは学習が遅れがちということで私が家での勉強を見ていたのです。

障害のある子供だったので、今は大人になっているでしょうがどんな仕事をしているのか、親元を離れて暮らせているのか、いろいろ心配になります。

 

私は大学生の頃から家庭教師の仕事をしていました。

大学を卒業して一旦離れましたが、就職した会社を9ヶ月で退職してからは家庭教師の仕事に復帰して働いていました。

いわゆるフリーターですね。

好きな英語の勉強がしたくて会社員を辞め、フリーターで家庭教師をしていたのです。

つまり、社会人教師ですね。

今では大手の家庭教師派遣の会社でも盛んに宣伝していますが、私がフリーターになった30年ほど前は社会人教師は少数派でした。

 

社会人教師だからか、困難な仕事ばかり紹介されましたね。

上述のように障害のある生徒さん、病気療養中で学校に行けない生徒さん、高卒で就職したもののやはり大学進学を目指したい生徒さん。

勉強以外にも人生相談もしていました。

 

あの頃の生徒さんは今頃、どこで何をしているのでしょうか。

もう30年くらい前のことなので、皆、いい年齢の大人になっていることでしょう。

あの子はどこへ行ったのか。

そう考え、思い出しますね。

 

私は家庭教師としては売れっ子でした。

自分で言うのも変ですが、非常に優秀です。

聞かれてわからないことはありませんでしたし、それ以上に私の人間性を買って頂けました。

障害があったり、病気治療中だったり、社会人として大学進学を目指していたり、一般的な学校生活が送れない生徒さんの心に寄り添い、それが相手にしっかり伝わっていたのです。

生徒と教師ということ以上に、人間同士として二人三脚で進んでいました。

 

それでも、会うは別れの始まりです。

学習の目的を達成すれば契約は終了です。

何人かは年賀状を送ってくれた生徒さんもいましたが、そのうちに送られてこなくなりました。

 

みんな、今はどこで何をしているのでしょう。

あの子はどこへ行ったんでしょうね。