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写真はイメージです。
この時期になると思い出すことがあります。
私は大学四年生の頃のこの時期、家出しました。
母と些細なことで喧嘩になり、そのまま飛び出して家には帰りませんでした。
家出したらまずは住むところの確保ですが、すぐには見つけられないので実家を離れて大学に通っていた友達のマンションに転がり込みました。
その友達は同じ大学に通う弟と一緒に広めのマンションに住んでいたので、10日ほど置いてもらいました。
当時、少し年上の元夫は先に卒業して東京にいたのですが、心配して札幌まで来てくれました。
私は一人で住むところが見つからなければ、大学を辞めて先に社会人になった元夫について行こうとも考えていました。
この日のうちにアパートが見つからなければそうしようと、元夫と話しながら歩いていたら大学の近くにあったアパートの窓に貼り紙がしてありました。
その貼り紙には部屋を貸す、借主募集と書かれていました。
これに私は飛びついたのです。
アパートのオーナーさんは当時で70歳くらいだったでしょうか、女性の方で直接契約できる、不動産業者は通さず面倒な書類もなくていい。
そう言ってもらえたので、私はすぐに契約しました。
住むところさえ決まれば話は急ピッチで進み、私は居候させてくれた友達も手伝ってくれたので実家に荷物を取りに行き、レンタカーで借りた小さなバンに荷物を乗せて実家を後にしたのです。
ちょうど11月のこの時期でしたから、卒論も大詰めの時期でした。
家出したからには親からの援助は見込めません。
私はコンビニ、定食屋さんのウェイトレス、家庭教師を掛け持ちして生活しながら卒論を仕上げましたね。
何が一番楽しかったかというと、バイトしながら自活して勉強と両立したことですね。
アパートは六畳一間、風呂なし、トイレ共同(しかも和式)でした。
お風呂は銭湯に行っていました。
銭湯にいくことが最高の贅沢でしたね。
貧しくても楽しかった。
生活に張りがありましたね。
定食屋さんのバイトでは夕方から出勤して、まかないがあったので夕食には困りませんでしたし。
仕事が終わると、コックさんの厚意でポテトサラダや揚げ物をもらったり。
そんな生活を四ケ月ほど続けて私は無事に大学を卒業できました。
一番喜んでくれたのは、居候させてくれた友達でした。
若いうちは多少無茶した方が楽しいですね。
人間の幅も広がります。
あの頃暮らしたアパート、その後どうなっているか見に行ったことがあります。
アパートは取り壊されてきれいなマンションに建て替えられていましたね。
それでもバイトをして、勉強もして、充実していたあの頃の思い出は消えることはありません。