理解者はいない

 理解者がいない。

こう考える方は意外と少なくないと思います。

人間、十人十色、百人百色、千人千色、万人万色です。

 

誰一人同じ人間はいないので、皆が自分の理解者はいないと感じているのではないでしょうか。

 

何度もお話ししてきましたが、私には自閉症スペクトラム障害という障害があります。

一種の発達障害で、生まれながらの脳機能障害です。

 

人間は知的生命体なので、脳機能の障害があると社会生活もなかなか大変です。

自閉症スぺクトラム障害、人によって障害が出てくるところ、生活上の不都合などは様々なのですが、私の場合は同じような考えの人にほぼ出会えないところに不都合を感じています。

 

いわば、理解者、賛同者がいないのです。

 

これも以前もお話ししたことですが、自閉症スペクトラム障害があることとは関係がないところで、私のパーソナリティーはかなり特異であることも、精神の専門医に診断されています。

 

精神疾患を治療、入院していた頃、入院先の大学病院の偉い先生に”お墨付き”を頂きました。

精神的な検査の結果、わかったことですが、私に丸く見えているものは、他の方には四角く見えている。

そう診断されました。

 

自閉症スペクトラム障害という脳機能障害があると、世界の見え方が一般の方と違うという方は、私の他にもいるようです。

 

それに加えて、精神の専門医が診断したように、私のパーソナリティーはかなり特異なもので、世界の見え方が大多数の方と全く違っている。

 

脳機能の障害、自閉症スペクトラム障害とパーソナリティーの特異さという「二重苦」ですね。

ヘレン・ケラー並みです。

 

脳機能が人と異なるために、とにかく見える世界が違い、何かを表現しても受け入れられないことが多い。

逆に私も、他者が理解できない。

このようなことは日常です。

 

私は孤独なのでしょうか。

 

そうは思いません。

ただ、何故これが面白いのか?

これがわからず、不条理や理不尽、一般的な視点に対する物足りなさは感じます。

 

その程度しか気付かないんだであるとか、何か深掘りが足りないとは思います。

 

わああああああ!おもしろいいいいいい!!

はっきり言って、馬鹿?

そう思うことも多いです。

 

孤独というよりは理不尽と不条理ですね。

 

私の父もそうでした。

父は、おそらく発達障害でした。

 

今生きていれば80代ですので、正確な診断も受けられず、サポートを得ることもないまま死にましたが、間違いなく発達障害です。

娘としてずっと側で見ていたからわかります。

 

俺の夢はお前の夢。

お前の夢は俺は知らない。

 

独善的で相手の気持ちを読めない人でした。

善良で心優しい人でしたが、相手とコミュニケーションが取れない人でした。

 

私と同じで、理解者はいなかったようです。

母ともうまく意思疎通ができないこともあったくらいですので。

 

その父は、やはり自分に理解者はいないと感じていたようです。

絶望していたと言っても過言ではありません。

 

父は卑屈でした。

自分に理解者はいないから、自分の意見を言うのはやめておこうと考える人でした。

 

意見を言っても誰にも聞いてもらえないし、理解もされない。

だから、自分の意見は言わないように、自分の意見は持たないようにしようという卑屈な人でした。

 

でも、私は違います。

 

インターネットの普及でSNSが登場したことが、父が生きた時代とは大きく違いますが、私はネットがなくても、SNSがなくても、自分の意見を持ち、発信し続けることは止められません。

 

父のように卑屈にはなりたくないからです。

 

父は家族を持つべきではなかったのです。

家族を持ったために働きづめで、そのことも父が自分の意見を言わなくなり、卑屈になっていった原因だと考えています。

 

一人で独身であれば、今の私がそうですが、自分のことだけ、自分で自分の面倒を見ればよいだけなので気楽ですし、余裕が持てます。

寧ろ一人でいることで、卑屈になる余地はありません。

一人でいれば伸び伸びできます。

 

ですから、孤独ではありませんが、前述したようにはっきり言って馬鹿?

そう思うことは少なくありません。

 

この発言自体、一般の方には受け入れられず、私が傲慢で尊大、独善的と思われてしまうでしょうか。

しかし、これが偽らざる本音です。

父のように卑屈になり、言いたいことも言わず死ぬ訳にはいかないのです。

 

自閉症スペクトラム障害のサポートを受けるために通っている病院の主治医からは、この障害があるために誤解されることが多いので、そこには注意するよう言われてもいます。

 

でも、本当に馬鹿は馬鹿です。

それの何が面白いの?の連続ですよ。

 

逆に、私の言っていることがわからないという方は多いでしょうね。

もう織り込み済みの想定済みです。

慣れっこです。

 

私は甘口ではありません。

どうせ理解されないなら、綺麗事を言うだけ無駄ですから、表面上だけ好感度を上げるために、口当たりのいいことを言うなどと無駄なことはしません。

 

しかし、こういう口当たりの悪いことを敢えて聞きたいという方も一定数いますよね。

私の狙いはそこにあります。

 

世の中には嘘と綺麗事と偽善と欺瞞と建前がウヨウヨしています。

胸糞悪いではありませんか。

 

そういう嘘と偽善は、ある意味、健常者の専売特許であり得意技ですよね。

 

こういう話を、私よりはるかにしっかり者の弟にしたところ、世界の全ての人が姉ちゃんのような人間なら、戦争は終わらず世界は破綻すると言われてしまいました。

 

そうですね、嘘と綺麗事と偽善と欺瞞と建前が秩序を保たせています。

ですから、私のような障害者は時には健常者にとっては不都合な、不要な存在なのかも知れません。

 

事実、特に精神障害者が疎んじられ、迫害されていた時代もあったのですから。

 

ですが、今は障害者にも人権が認められ、その障害に応じた生き方が保障される時代です。

 

私には理解者はいないのか。

じっと考えてみました。

 

いないことはないですね。

 

私に共感して下さる方は、何かに困っている方、特に心身に問題を抱えている方です。

今は健常者でも、病気や事故、或いは失業、失脚も入るでしょうか、そこから転落すれば、障害がある者とはどういう者か、実感することがあるでしょう。

 

どこかから転落した方や彷徨う羽目になった方も、私の理解者ですね。

 

人間、本当に困れば、嘘と綺麗事と偽善と欺瞞と建前どころではなくなり、物事の本質が見えてくるというものです。

 

嘘と綺麗事と偽善と欺瞞と建前から脱却し、こちらの世界にいらっしゃいませんか?