発達障害 困ったこと困らないこと

本編の前にご案内です。

この「とまとの呟き」の姉妹版で小説を書いています。

タイトルは『アンドロイドの楽園』といいます。

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よろしくお願いします。

tomatoma-tomato77.hatenablog.jp

 

何度も書いていますが、私には発達障害の一種、自閉症スペクトラム障害があります。

これは父からの遺伝ですね。

父も普段からちょっと変わった人間でしたし。

それに、母も怪しいですね。

人の話を聞かない、相手の気持ちがわからない、自分が興味のあることにはのめり込んでも興味がないことは存在自体認めないとか。

娘として二人の傍にいて思うことは、父も母も施設で暮らすレベルほど障害が重いのではないかということです。

 

私は精神の専門の病院で検査を受けて診断されました。

しかし、今通っているその病院の前に通っていた大学病院の精神科で既に診断されていたのです。

 

今の主治医によれば、大学病院からの紹介状には書いてあったそうです。

大学病院でお世話になっていた医師は、私が自閉症スペクトラム障害だと気づいていたようです。

なぜか未告知のままだったんですよね。

ですから、今お世話になっている病院に移るまで、私は自身の障害に気づいていませんでした。

 

ただ、紹介状にはこう書いてあったそうです。

学歴の高さにそぐわない理解力の欠如があると。

これが私の障害の特性なんですよね。

勉強ができても他のことは人並み以下にしかできない。

 

勉強はかなり良くできました。

学生の頃の成績は常に学年トップ、勉強が好きだったのです。

自分の興味があることに能力を発揮できても、それ以外のことはこなせない。

発達障害の典型ですね。

 

こんな私ですから、まともに働いたことがありません。

大学を卒業してから就職した会社は8ヶ月で辞めて、結婚するまでフリーターをしていましたし。

会社を辞めた理由は、好きな英語の勉強をするためでしたが、今になって振り返れば退職しなくても勉強はできたと思うんですよね。

こういう判断力の欠如にも障害の特性が表れているのでしょう。

 

自閉症スペクトラム障害がわかってから、私は仕事をしていません。

私の障害は仕事をするうえでの能力に欠けているところに表れています。

 

離婚して独身に戻り、いろいろな仕事をしたのですが、どれも長続きしませんでした。

解雇、出禁の扱いばかり受けていましたね。

40歳を過ぎてから離婚したので、仕事を選ぶのは難しかったです。

 

食品の工場でお弁当を作る仕事もしたのですが、本当に簡単な作業ができず、解雇、出禁になりましたね。

高学歴で頭は良いはずなのに、人並みに仕事ができない。

そう思われて仕事に就けないのが、発達障害があって困っていることです。

逆に、その頭の良さがあるから学生時代は苦労せず、好きな学問に打ち込むことができた。

興味のあることには能力を発揮できる。

これが発達障害があっても困らなかったことですね。

 

それでも、自閉症スペクトラム障害と正確に診断されてよかったです。

己を正しく知ることは、今後の人生を有意義なものにしておくために大切なことです。

子供の頃、若い頃、うまくいかなかったことを思い返し、その理由がわかりました。

 

疾患ではなく障害なので、治療して治せるものではないのですが、自閉症スペクトラム障害があるところも含めて私は自分が好きですね。

自閉症スペクトラム障害が判明した検査を担当してくれた方も、私は自己肯定感が高いと褒めてくれました。

 

自己肯定感が高い。

それで良いではありませんか。