天邪鬼と書いて「あまのじゃく」
正に私のことです。
人と違うことをするのが大好きで、迎合や付和雷同、同町圧力がとにかく大嫌いです。
webライティングを勉強したこともあるのですが、検索して上位にくる記事にするために、キーワードを吟味し、文中への入れ方や数などもこと細かく決められる。
これに嫌気が差して辞めてしまいました。
検索上位にくるとは、多くの方の注目を集めることですが、自分が書きたいことを曲げて注目を集めることは、私にとっては無意味なことなので、webライティングは不向きでした。
SNSでもそうです。
私は主にこのブログとTwitterで活動しているのですが、面白おかしい動画や写真、イラスト、漫画などが持て囃される傾向には抵抗があります。
Twitterなどでも、文字、言葉を使って自分の思想信条を語る人の方に共感できますし、好感が持てます。
面白おかしいことよりも、内容に共感できるもの。
多少、言い回しが難しくても、内容が充実しているもの。
これが何より大切です。
つまり最大多数の興味よりも、最小少数の充実度が大切です。
多数派の向く方に背を向け、我が道を行く。
こういうことを世の中的には「天邪鬼」と言いますね。
天邪鬼、上等ではありませんか。
私は自身と同じような天邪鬼が大好きです。
天邪鬼の多くは一匹狼で、それぞれが点としてバラバラに存在しています。
この点を線で結び、その線で面を描き、その面で立体を作る。
最終的に、点から立体を組み立てる。
そうすればバラバラに点在している天邪鬼たちが結集し、何らかの結果を出せると思います。
私は言葉で何かを表現するために、Twitterでも活動しているのですが、最初は自分の素性をあまり明確にしていませんでした。
しかし、それを明確にすることで、同じような志を持つ仲間と繋がれる機会が増えてきたようです。
例えば、私が抱える障害のこと。
自閉症スペクトラム障害があると明言してよかった。
私の仲間と繋がれて本当によかった。
天邪鬼であることを隠さず、言いたいことは言おう。
心底そう考えています。
何事も主流になるものがあれば、そこから外れる逆流的なものがあります。
皆が同じ方向しか向かない集団は気味が悪いですし、危険極まりないものです。
また、反対意見、反対理論、アンチテーゼは哲学の基本中の基本です。
私は大学でインド哲学を学んだのですが、細かい専攻に関わらず哲学の基本科目を履修する必要がありました。
そこで学んだアンチテーゼのあり方は、今も私に大きな影響を残しています。
何事も反対側からの理論や視点がなければならない。
このことは哲学に限らず、一般論としても必要な考え方です。
前述したように、皆が同じ方向だけを向けば危険極まりなく、破滅に向かってまっしぐらです。
そう考えると、天邪鬼の存在が世界を救うのかも知れません。
天邪鬼上等。
こう考えて、私は今日も人とは反対の方向を目指します。