ボランティア活動の話

昔々、ボランティア活動をしていたことがありました。

もう20数年以上前、まだ結婚していて専業主婦をしていた頃の話です。

 

当時、元夫と暮らしていた家の近所に、高齢の方が多く入院する病院や施設があり、またその他にも、障害者の方の通所施設があったので、そこにお手伝いに行っていました。

 

しばらくボランティア活動に通った後、受け入れ先の施設の都合もあり、私はボランティア活動を辞めてしまいましたが、とても有意義で得るものが多い活動でした。

 

高齢者施設では入所者の方はかなり高齢の方が多く、80代ならまだ若い方で、90代、100歳以上の方もいましたから、今はほとんどの方がご逝去されたことでしょう。

 

高齢者施設での私の仕事は、入浴介助のお手伝いや入所者の方のお話し相手でした。

 

高齢になり自分で体を動かせなくなった方を、お風呂に入れる作業って重労働なんですよね。

施設利用者の方をお風呂に入れるリフトなど、プロの介護職の方が様々な設備を使って入浴の作業をするので、私は入浴後の着替えを手伝ったり、病室に連れて帰ったり、髪をドライヤーで乾かしたりするお手伝いをしていました。

 

その頃は、まだ父も健在で両親とも若かったので、介護の問題はまだ実感していませんでしたが、あれから20数年以上が経ち、父は他界し母だけが残りました。

 

今度は私がお世話になる番ですね。

私は、母の介護をする気は全くありません。

利用できるサービスはフルに活用して、大いに助けて頂こうと考えています。

 

私の自閉症スペクトラム障害を理解せず、理解してこなかったことを反省もしない人間に対して、愛情をこめて介護する気にはどうしてもなれません。

 

母には相手に共感する心が圧倒的に欠けています。

姥捨て山に捨ててやろうと思っています。

 

自分は高齢者施設でボランティア活動歴があり、他人様の介護を手伝っても、自分の母親は捨てても構わないと思っている。

矛盾しているようですが、矛盾はしていません。

 

私が介護のお手伝いをした方々も、もしかしたら家族とは確執があったかも知れませんし。

他人同士だからこそ、そういった確執がなく介護できるのだと思います。

 

ですから、私も母のことは他人様にお願いしようと思っています。

長年の確執や家族であればこそ見えてくる醜い部分は、それを見なくて済む他人様にお願いするしかありません。

 

それほどまでに、私の母はひどい人間です。

 

他者への共感がない者は自らも拒まれますが、それでもわかっていませんからね。

高齢になったから、理解力がなくなってきたからで、逃げ切られては私の憤りは収まりません。

とにかく、母とは離れるのが一番いい方法ですね。

 

さて、高齢者施設でのボランティア活動以外では、障害者の方の通所施設でもお手伝いをしていたことがありました。

 

生まれた時から体を自由に動かせない利用者さんや、知的障害の方が通ってきて自分ができる範囲でできることをしていましたね。

 

体が自由に動かない方でも、できる範囲で体を動かすようにしないと、体が硬くなりますます体が動かなくなるという悪循環に陥ってしまうので、リハビリのように体を動かすお手伝いもしたものです。

 

若い利用者さんが多かったので、体が動かない利用者さんでも、レクリエーション活動の時間は楽しそうに感情を表現していた様子が記憶に残っています。

 

そのような若い利用者さんが多かったので、夕方、施設での活動が終わる時間になると、ご両親が揃って迎えにくる利用者さんもいました。

 

あれから、やはり20数年以上が経ちました。

若かった利用者さんも、中年の年齢に差し掛かったことでしょう。

そうなると、毎日施設に迎えに来ていたご両親も高齢になったことでしょう。

 

皆さん、今頃、どうしているのでしょう。

 

高齢者施設では、お子さんが、人によってはお孫さんが入所者の方の後ろ盾になっていましたが、生まれながらに重度な障害がある方は、親御さんがお子さんの介護をしていました。

 

子が親を、或いは、親が子を介護するにしても自分たちだけでは抱え込みきれない問題です。

私も、母との不和が原因で福祉サービスを利用する必要がありますし、母のような最低の人間のために、私の貴重な人生の時間を割く余地は全くありません。

心が離れれば、全てが離れます。

 

20数年以上前、人様のお手伝いをする機会がありましたが、今度はお手伝いして頂く立場になりました。

母のために自分の人生を犠牲にする気など、全くありません。

 

多くの方のお力添えを頂くことになりますから、感謝の心を忘れずに進んでいきたいと考えています。