銀行の恥ずかしい話

今日は何軒も銀行を回って歩いていました。

自閉症スペクトラム障害がある身で、障害者枠で仕事を探しつつ同時並行で生活保護の申請も検討しています。

 

申請すれば資産や預貯金がないか、審査の対象になります。

私には資産と言えるようなものはありませんし、預貯金もありません。

審査される資産という点では問題はないのでしょうが、ついでですからこの機会に休眠状態にある口座の状況を確認したいと考えたのです。

 

そこで、札幌では街の中心部・大通地区にしか支店がない銀行にも出かけて行きました。

 

手元に通帳がある口座であれば、100円単位で口座にお金が入っているのを確認でき、そのお金を引き出してきました。

硬貨でもATMで引き出せるんですね。それは知りませんでした。

 

何軒か銀行を回って、100円単位のお金を引き出してかき集めると、今日食べる晩ごはんを買うぶんの足しにはなったので、得をした気持ちになりました。

 

さて、今日のテーマ「銀行の恥ずかしい話」ですが、休眠状態の口座に100円単位のお金しか入っていなかったことが恥ずかしいのではありません。

 

大学4年生の頃、銀行に行った時の話が恥ずかしい話なのです。

 

私は大学4年生の頃、些細なことで母と喧嘩をしてそのまま家出しました。

取り敢えず体一つで実家を飛び出しましたが、何日間か友達のアパートに居候した後、私の住むアパートが決まるとレンタカーでバンを借り、そのバンに実家にあった荷物を積み込んで家出を完結させました。

 

荷物を積み込んだバンは、友達のアパートの玄関辺りに停めて、明日は旅立ちのめでたい日だと、私も友達もテンションが上がっていました。

 

いよいよ明日、居候していた友達のアパートを出て、私が自力で借りたアパートに引っ越すという夜は、その友達と飲み明かしました。

 

最近ますますそうですが、私は基本的に両親とは不仲です。

私の自閉症スペクトラム障害を理解してもらえていませんし、理解してこなかったことに対する反省と謝罪も受けていません。

私が幼い頃から、両親が正しく障害を理解してこなかったことが不仲の原因ですし、それを未だに理解しない母とは絶縁ですよ。

 

大学の4年生で家出した時も、このような状況でしたね。

だから、居候させてくれた友達は『やったね、とまとちゃん!頑張ってね!!』と力を貸してくれました。

 

私が自力で見つけたアパートに入居する前夜、二人で飲み明かしましたね。

 

そして迎えた次の日の朝。

友達がカーテンを少しだけ開けて、何やら心配そうな顔をしているではありませんか。

どうしたのかと、私が尋ねると友達は窓の外を指差しました。

 

なんと、友達が指差した先にはパトカーが来ていたのです。

私は駐車違反をしていました。

 

友達のアパートの玄関の前に停めていただけではなく、逆向きに車を停めていたのです。

駐車するとしても、道路の左側に停めなければならないのであって、道路の右側に停めたことで、私は反則金を払う羽目になってしまったのです。

 

この出費はかなり痛いものでしたが、払わない訳にはいきませんから、近くにある銀行に出かけて行きました。

 

当時はまだ北海道拓殖銀行が営業していた時代です。

北海道拓殖銀行、若い方だともう知らない方もいるかも知れません。

”たくぎん”の呼び名で北海道では親しまれていた銀行でした。

北海道大学の同級生もこの銀行に就職する人は少なくなかったですね。

 

当時、札幌ではこの”たくぎん”の支店が多く、私もある店舗に反則金を払いに行ったのですが、その店舗に私の同級生が働いていたのです。

 

私は一年留年して卒業しているので、一緒に入学した同級生の多くが先に卒業していきました。

既に社会人になっている同級生が働いている銀行の支店で、駐車違反の反則金を払う。

 

なかなか恥ずかしい状況ですね。

その支店に入るとすぐに私は、同級生が働いているのに気付きましたが、その同級生は私に気付いていたのでしょうか。

 

反則金を払う手続きは、他の行員の方に受けて頂いたのですが、その店舗にいた同級生は気付いていたのでしょうか。

私から見ると、全く表情を変えずに仕事をしているようでしたが、それは当たり前のことですよね。

社会人になれば、知り合いが来たからといって、むやみに感情を顔に出す訳にはいかないでしょうし。

 

でも、あの同級生は気付いていたのではないでしょうか。

そう大きな店舗でもなく、他には客がほとんどおらず、反則金を払う時に”とまとさーん”と呼ばれましたから、気付いていたのではないでしょうか。

 

一年留年したことの差を感じる出来事でした。

社会人として業務を遂行している同級生と、まだ学生の身で家出、駐車違反で反則金を払いにきた私。

 

今はもうない”たくぎん”での思い出です。

 

たった一年の違いとはいえ、社会人になった者とまだ学生でいる者の差の大きさを感じ、事もあろうに駐車違反をして、反則金を払いに行き”とまとさーん”と名前まで呼ばれてしまった。

 

かなり恥ずかしい思いをしました。

 

あれから”たくぎん”は経営破綻し、看板を下ろしました。

あの時見かけた同級生は、今はどこで何をしているのでしょうか。

 

今日、あちらこちらの銀行を回っていると、あの時に見かけた同級生のことを思い出しました。

駐車違反をして反則金を払いに行き、同級生を見かけたのはバブル経済の頃のことでした。

あの同級生も、バブル崩壊の荒波に飲み込まれたのでしょうか。

 

私はバブル崩壊の波にあまり影響されない業種に就職したのですが、金融関係はなかなか大変だったようです。

 

その大きな波を思えば、反則金を払いに行って恥ずかしい思いをしたことなど、ちっぽけなことで、今となってはいい思い出になっています。