古典文学とインド哲学

昨日、このブログを書こうと思っていましたが、晩ごはんの後うたた寝をしてしまい書けませんでした。

基本的に毎日書こうと思っているので、不覚でした。

 

今日は昨日書こうと思っていた内容を書きます。

 

一昨日、英語の勉強について書きましたが、その中で日本語の美しさ、特に古典文学の美しさについて触れました。

私は古典文学が大好きです。

その影響を強く受けて、大学ではインド哲学を学ぼうと思いました。

 

インド哲学とは何か?

この学問を志す学生や研究者の間では知られていますが、一般的には知名度は高いとは言えません。

 

インド哲学とは、古代からのインドの思想、神話、宗教などを学び研究する学問です。

私は特に仏教の教えに魅せられ、卒業論文も仏教についてまとめました。

 

インド哲学を活かして職業に就くことは、研究者など以外では難しいので、卒業生の多くは一般的な就職をします。

私も卒業後は一般の民間企業に就職しました。

 

今日のテーマ、古典文学とインド哲学との関わりについてですが、高校生の頃に古典文学に魅せられたことがインド哲学を学ぶきっかけでした。

 

私は大学入試では共通一次試験の世代です。

育った家庭が貧しく、進学する大学について私立という選択肢はありませんでした。

 

そこで、国公立を目指す必要があった訳ですが、国公立大学を目指すなら共通一次試験対策として、国語は古典も学ぶ必要があったのです。

 

高校に入学した当初は医学部を志望していたのですが、国公立大学しか選択肢がなかったので、古典も力を入れて勉強していました。

そこで古典文学の美しさ、面白さに魅せられたのです。

 

特に強く影響を受けたのが、平家物語でした。

冒頭部分の表現、全てのものは無常であるというところに強く惹かれたのです。

他にも多くの古典文学で描かれる無常観に惹かれ、このような思想を深く学ぶにはどんな学問があるのか、真剣に探したところインド哲学に行き着きましたね。

 

全てものは移り変わるものであり、人間は驕り高ぶっていても必ず消え去る小さな存在である。

如何に隆盛を極めても、それは仮初めのものであり、消え去ることのない本質を捉えることが大切である。

 

古典文学に描かれるこのような無常観を深く学ぶにはどうしたら良いか、考えてみました。

それは仏教思想にルーツがあり、仏教思想を含めた本質を学べる学問にはインド哲学という学問がある。

このような結論に至り、それまで目指していた医学部には進まず、文学部に進むことにしたのです。

 

私のインド哲学のルーツは仏教思想の無常観です。

 

もちろん、仏教思想や無常観だけがインド哲学が扱う領域ではありません。

上記のように、インド哲学が扱う領域は多岐にわたります。

古代からの神話や思想、宗教など、数多くの文献や資料を読み考察することで理解を深め、最終的には自分のテーマを決めて卒論を仕上げる。

 

インド哲学の課程に在籍し、共に学んだ仲間たちはそれぞれのテーマを持ち学んでいました。

私は入り口が古典文学、仏教の無常観で、出口となる卒論も仏教の視点でまとめました。

 

このように、私にとっては古典文学との出会いが、人生を変えたと言っても過言ではありません。

高校に進学した当初は医学部を志望していたものの、古典文学との出会いで文学部でインド哲学を学ぼうと転向した。

このことについて悔いは全くありません。

 

医学を学んで医師への道に進んだとしても、倫理の問題からは離れられなかったことでしょう。

その倫理を考えるうえで、やはり宗教や様々な思想は学ぶ必要があります。

 

根本的な倫理や道徳など、その基本を学べるのがインド哲学でもあります。

 

古典文学に影響され、インド哲学の道に進み、いろいろな思想や神話、宗教について学んだことは今でも私の財産になっています。