古典をやめるな

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tomatoma-tomato77.hatenablog.

写真はイメージです。

 

私はTwitterが大好きです。

いろいろな人が集まり、正に人間図鑑ですね。

そんなところが気に入っています。

 

さっきTwitterを見ていたら、古典を学校で教えるべきか、やめるべきかの議論を見かけました。

真っ二つに分かれているという印象です。

 

一つは教えることを続けるべきというものですが、もう一つは役に立たないし、もっと実用的なことを教えるべきという意見です。

 

私は古典は学校で教えるべきだと考えています。

実用的なことばかり教えるのが学校ではありません。

情操教育、心を育てる教育も必要ですよね。

役に立つこと、これからの世の中を考えると英会話やコンピューターのプログラミングでしょうか。

しかし、人間は役に立つこと、もっと踏み込んで言えばお金儲けに関わることだけを学べばよいのではありません。

 

人間としての情緒や人間性、思考を豊かにするために必ずしも役に立つことだけを学べばいいのではありません。

 

こういったことから、私は役に立たないことを敢えて学ぶことも必要だと考えています。

役に立たないことを敢えて学ぶ心の余裕が必要です。

 

私自身の経験では、私は古典を学んで人生が変わりました。

古典文学の中に描かれる無常観に影響され、医学部志望で勉強していましたが文学部・インド哲学科に進路を変更したくらいです。

 

古典文学に描かれる無常の世界。

これを更に深めて学ぶにはどんな学問があるか考えてみたのです。

そこで辿り着いたのが仏教の無常観の教えでした。

では、仏教を学問として学ぶにはどうしたら良いか。

進学先を考えましたね。

 

そうして行きついたのがインド哲学の存在でした。

私が育った家庭は貧しかったので、実家から通える大学であることが譲れない条件でしたが、ありましたね、実家から通えてインド哲学を学べる大学が。

 

インド哲学、とにかく面白いです。

仏教学にはのめり込みましたね。

卒論も大乗仏教に関する内容にしたくらいです。

 

10代の頃は感受性が鋭いですから、情緒に働きかける刺激が大切ですね。

そのためには、必ずしも役に立つことだけを学ぶのではなく、一見、役に立たなくても心に働きかける教養を身につけることも大切だと私は考えています。