昨日は胃カメラの検診を受けてきた話を書きました。
今日はその続きになります。
昨日、無事に胃カメラの検診を終え、今日は美味しく食べられる幸せを噛みしめていました。
お腹がいっぱいになると、幸せな気持ちになります。
なぜなのでしょう?
胃は心の働きと密接な結びつきがあるからではないでしょうか。
食べて幸せになるのと真逆の心境、ストレスを感じると胃が痛くなると言います。
ストレスを感じたり、逆に美味しい物を食べて満腹な時、その時の心の動きが胃には表れるのでしょう。
喉越しという言葉にもあるように、口から食べ物が入り、喉を通り、胃に収まると私たちは幸せを感じます。
食べることは生きることですから、口から入った食べ物が胃に収まることで生きることに対する原始的な欲求が満たされ、幸せを感じるのではないでしょうか。
昨日、胃カメラ検診を終えて、美味しく食べられる喜びを感じていたら、このようなことを考えていました。
ところで、私は高校に進学した当初、医学部を目指していました。
小学生の頃から離人症の症状が出たり、中学生の頃には摂食障害にもなった私は精神科医を目指そうと考えていました。
結局、医学部には進学せず、大学ではインド哲学という学問を学びましたが、検診や治療、検査などで病院に行くと人体の不思議について考えます。
もし、医学部に進み医師になっていたら、この人体の不思議を学ぶことができたのだろうと思います。
病は気からとも言われるように、心と体は密接に繋がっています。
食べることは生きることと繋がっていますから、快い感覚として認識される食べることは、生きる力そのものなのでしょう。
このような不思議を考える時、医学部に進んで医学を学び、人体の不思議を解き明かすことに近付くのも良かったかなと思いますが、インド哲学を学んだことも有意義なことでした。
インド哲学が扱う領域は多岐にわたりますが、医学においても重要な倫理観や生命観を学ぶこともできました。
人間は心と体が結びつき合っているので、化学反応のような薬だけで生きるのではなく、なぜ生きるのか、なぜ生きていたいのか、死とは何か、その他さまざまな問いに対する答えを探しながら生きています。
この問いに対する答えのヒントがインド哲学にはあります。
人はパンのみにて生くるものにあらずとも言われますが、その通りで、人間は心が満たされないと生きていくことができません。
私にとっては、心を満たし人生の道しるべになったのがインド哲学でした。
昨日、胃カメラ検診を受け、美味しく食べられる喜びを嚙みしめながら、生きることについて考えていると、心と体の結びつきを意識していました。
美味しく食べられるから幸せを感じ、幸せを感じるから美味しく食べられる。
このような行ったり来たりを意識することで、人間はますます生きる喜びを感じ取ることができるのでしょう。